ポンペイ展にて…
久々に,美術館のような建物に行って来た。今回は、博物館だが、この展示ではかなりの調度品や装飾品,美術・芸術品がずらりと並んでいて、人が火山の噴火による災害で,埋もれてしまったことなどは、あまり展示としてはないに等しく,意外だった。
3月に入って初めての土曜日の昼下がりに行き、良いお天気に恵まれ,花もきれいな行楽日和だった。帰りの道すがら,梅が満開だった。香りにもほんのり包まれた…。
撮りまくった。全てが驚きだった。これらが埋もれていて,それらを掘り出して修復したりした人がいて…血と汗の結晶だ。こうした先進的な芸術作品があった,昔のポンペイの文化に触れ、ただただ感動だった。
いろいろな品々があり、絵画も素晴らしいが、彫刻等もミロのヴィーナス級の美しさがあり、男性像もたくましく,ダビデ像のようなものもあったし、さすがに痛ましく,腕がもげてまだ見つかっていないようなものもあった。
絵画や彫刻だけではない。建築や金属の調度品やら装飾品、医療器具等など、様々なものの展示があった。しかしここに公開してもキリがないし、百聞は一見に如かず。まだ期間が4月まであるし、東京でいけない方も、京都会場もあるとか…。
一旦,こちらをアップしたが、ツレに借りた「図説 日本史通覧(監修:東京大学名誉教授 黒田日出男氏 印刷2018年2月)」を見たところ、ポンペイ展の資料と比較して気付いたことを加筆したい。
火山噴火がAD79年、ヴェスヴィオ山で起きたことから、ローマ帝国の都市ポンペイでは約1万人が暮らした都市が封じ込められ、タイムカプセル化したとのこと。
その頃の日本は、57年に「倭の奴国王,後漢に朝貢し光武帝より印綬を受ける」とあり、静岡にある登呂遺跡のもととなる,水田跡が見られたらしく、いわゆる弥生文化時代に当たる。
やっと農耕期が始まるその頃,ポンペイではかなりの鉄鋼加工技術やら、医療技術,美術や工芸が開花していた。それはかなりの文明の発展の差だろうと感じた。
こちらがポンペイ展のサイトだ⇧
芸術に触れるのは、こころの糧になる。何かしら、損はない。わたしにとっては、このひとときがエキサイトだった。どんなものが、自分の心を揺さぶるか、未知なるものとの出会いを楽しみに…思い切って、出掛けてみよう♪
※ 追伸
ポンペイ展の前には、こんなところにも行ったっけ(^^♪
だいぶ前になるが…★
⇓
こちらも見てみてね~(⋈◍>◡<◍)。✧♡ (おしまい・1245字)