らぶストーリーは突然に? Vol.1 『愛だけが宿る眼差し』
他人のあいらぶを聞くのが、おもしろい。じぶんは人にあまり興味がない人間だと思っていたが、「これ、めっちゃ好きなんですよね」とか言われると、眼光鋭く、前のめりになってしまう。
思えば「好きなこと」は、誰もがそれぞれに、少しずつ偏っている。むしろ偏っているのが、カッコいい。その人にしか見えていない、その些細、だけれど確実に唯一無二である、ということが、カッコよく感じさせるのかもしれない。
先月のとある金曜のあいらバーで、服飾デザインが大好きで、自らも手掛けているコロ女史が
「女の子にブスはいないんですよ。女の子はみんな、美人になれるんです」
という言葉を、さりげなく、しかし力強く、とき放った。
その言葉は、口に含んだウィスキーとともに、わたしのからだに深く沁みわたった。
デザイン好きが興じて、人間観察が好きでよくするようになったというコロ女史。特に骨格と筋肉の観察は筋金入りで、歩き方の癖や仕草などで、その人がどういう骨格の持ち主で、どういう筋肉の付き方をしているのか、が手に取るようにわかるそう。
それが服のデザインにも活かされるのはもちろん、なんとコロ女史は、見ただけでその人の身長とスリーサイズが、わかるらしい。実際にわたしも、言い当てられた。
体格がわかると、その人に合う服が、まずわかる。その人がふだん着ている服より、もっとその人に合い、本来の魅力を引き出すような服が、見える。その眼差しには、「観察」という言葉が発するある種の冷徹さは消えさり、愛だけが宿っている。
そんなコロ女史は、幾多の女性と接し、幾多の女性のためにデザインやスタイリングをしてきた中で、さまざまな体格や外見を持つ女性と接してきただろう。太っちょもいるし、細目の人もいるだろう。まぶたが分厚い人もいれば、シワが目立ってきた人も、いるかもしれない。
それでも、彼女らを「女の子」と親しみを込めて呼び、「女の子はみんな、美人なのだ」と言い切る、その確信。
美しさに基準がある、のではない。美しさを見出す眼は、わたしたち一人ひとりの心に宿る。それをコロ女史のあいらぶから、そのあいらぶから生まれた眼差しから、気づかせてもらった。
気が荒んで、着る服も投げやりな朝。ときどきコロ女史の言葉を思い出すと、お腹の中で消えないウィスキーが、ほんわり温かくなってくるようだ。そうしてわたしは、朝からちょっとほろ酔い気分で歩き出す。なんだかこの世界を、愛せる気がしてくる。
(かけるのあいらぶ湯 チーママ)