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仕事を尋ねられ「営業です」って答えるの変じゃない?
仕事を尋ねると、「営業です」や「人事です」と職種で答えられる場合があります。ごく普通の会話なのですが、僕が知りたかったのは「何をしている会社で、どんな仕事をしているの?」ということなのです。この気持ち、分かってくれる人いますか?
職業と職種で完結しちゃうの?
その人自身に興味があって仕事について尋ねているのに、「製造業の営業職です」みたいに返されると、「いや、そっちじゃなくて…」と思います。一般的な会話なのに、僕の場合はそうなのです。
「製造業の営業職」では、その人がどんな思いで何をしているのか、そこのところがさっぱり分かりません(もちろん、さらに質問することになります)。
「製造業の営業職」であっても、例えば「どんな人たちのために、何を製造し、どんな問題を解決しているのか」ということを話してくれたら、そして出来たら「なぜその仕事を選んだのか」や「そこで営業を担当してどんなことを考えたり感じたりしているのか」みたいなことを話してくれると、その人のことがすごくよく分かります。
自分の思いと組織のつながり
もちろん、「なぜその仕事を選んだのか」ということについて、特に語りたいことはないという人がいることも知っています。それが良いとか悪いとかではなく、よくあることなのだということも知っています。
日本社会は、個人の思いと組織のつながりがとても希薄です。
組織の一員(会社の社員)ではあるけれど、組織の考えていることは自分には関係がない。決められた仕事をして、ちゃんと給料がもらえればそれでいい。やりたいことは、休日や余暇の時間をつかってやる──ごく普通のことですよね。そこに、自分の思いと組織のつながりはありません。
「僕のした単純作業が〜♪」の問題点
ミスチルの『彩り』という曲のなかに、こんな一節があります。
僕のした単純作業が
この世界を回り回って
まだ出会ったこともない人の
笑い声を作ってゆく
Vocalの桜井さんのあの声で歌い上げられると、ぐっとくる楽曲なのですが、同時に「こういう考え方が一番危ない」と思います。
自分の担当していることは、確かに「単純作業」かもしれない。でも、そういう作業のひとつひとつが社会を支えていて、まったくつながりがない見知らぬ人が、今日もどこかで笑顔になれたかもしれない──まさに現代の労働賛歌です。
でも、もしかしたら、ただ搾取されているだけかもしれません。
自分の仕事が誰かの笑顔につながっているかもしれないというのは事実だけれど、自分自身がその仕事を(待遇や喜びも含めて)それでいいと肯定出来るのか、そこが大切だと思うからです。
個人の思いと組織活動のつながりが「お金のため」だけになってしまうと、人は簡単に組織に取り込まれてしまいます。このことは、次回にまとめます。
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