「変わってますね」は褒め言葉?
「変わっていますね」と誰かから言われたらどう思いますか? 肯定的にとらえますか、それとも否定的にとらえますか?
否定的に使われる「変わってますね」
肯定的にも否定的にも使われるけど、日本社会では「変わってますね」って否定的に使われることの方がずっと多いと思うんです。
「多様化」という言葉が肯定的(あるいは宿命的)に使われるようになって、少し雰囲気が変わってきましたが、否定的なニュアンスを含むことが多いでしょう。
戦後長い期間、「言われたことを従順にこなす能力」が高く評価され、実際に高い給料につながりました。「みんなと同じ」の社会的価値はとても高かったのです。
だから「変わっている人」は、余程抜きん出た何かがないと、否定的に評価されることが多かったのです。
変わっていることは目立っていること
誰かから「変わっていますね」と言われたということは、その人の「変わっている部分」が発見されたということです。
つまり、そこが「目立っていた」ということですよね。
あることに関して、他の人はみな同じような感じなのに、その人だけは異なっていて目立っていた。「あ、あの人…」と発見されたということです。
それって、もしかしたら「その人らしさ」が表現・表出されていて、そこを見つけてくれたのかもしれません。
自分らしい「はみ出し」を生きる
草原にボールがあったら目立ちますが、ボール売り場にあったら目立ちません。目立つ、変わっているというのは、絶対的な評価ではなく、常に相対的な評価です。その場の空気感やスタンダード感みたいなものから、ちょっとはみ出しているとき、「変わっているね」と言われます。
そして、それを肯定するのか否定するのか、それは自分で自由に決められます。
スタンダードというのは、特定の場に身を置くと揺るぎのないもののように感じられますが、別の場に移動すれば変わります。例えばですが、1000キロくらい移動すれば、それだけでだいぶ変わるのではないでしょうか。また、時代によっても移ろいます。どんどん変わるのです。
自分の変わっている部分、目立っている部分、はみ出している部分は、自分らしさとつながっている可能性があります。隠したり否定するのではなく、肯定してはみ出しを生きることも選択出来ます。
変に気負って打ち出すのではなく、丁寧に扱うことが出来ると、社会の中でそれを表現していくことが出来るはずです。