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悲劇が起こると語りたくなる
戦争や災害など大きな悲劇があると、それに対する投稿がSNSに並びます。社会的な出来事に意見を述べる人が多いのは当然ですが、悲劇にかこつけて自分を語るみたいなのは、やりたくないなと思います。
人は深く感じると表現したくなる
災害の被災者など、その悲劇の当事者であれば、それについて「語りたい」と感じるのは当然です。また、そうした当事者の声には、社会的な価値もあります。
人は、深く感じると表現したくなります。
何かすごく大きく心が動く出来事があると、それを何らかの形で外に出したい=表現したいという気持ちになるのが自然です。このことはつまり、自然な表現の背景には、「深く感じる」という相応の質量が存在しているということを意味しています。
悲劇を語るのと悲劇を利用して語るのは別
大きな悲劇とは、深刻なものです。そのことで傷ついている人も大勢います。
僕自身は、そういうことを考えると、悲劇について語ることにとても慎重になってしまいます。どのように慎重になるのかというと、悲劇を知って感じたことを表現しようとしているのか、悲劇を利用して自分を語ろうとしているのか、そこを見極めたいと思うからです。
悲劇にかこつけて語ることは、したくありません。これは僕自身の話なので、そういう人がいても、別にいいと思います。自分は、「この悲劇に対して、私はこんな意見を持っている人間なんですよ」と、アピールするようなことは、したくないなと思います。
SNSに書く前に、まずは身近な人と話してみたいと思います。
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