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大切な友達に接するように自分を扱う

自分に厳しい人っていますよね。先日も「褒め言葉はスルーせずに受け止めて」という文章を書きましたが、自分のことになると突然スパルタモードになって、「大丈夫、まだがんばれます!」となってしまう。でも、そのことで本当に誰かに良いことが起こるのでしょうか…?

他人は労るが自分にはスパルタ

僕自身も「自分に対して手厳しい」傾向があります。いつもでもはありませんし、だいぶ是正されましたが、それでもいまだにあります。

同じ傾向の人のために言いたいのは、「自覚できているつもりで、ぜんぜん出来ていないですよ」ということです。「自分に厳しい」という言葉の意味は理解出来ていても、自分が自分に設定している「ふつう」が、既に強烈なスパルタなのです。

自分に厳しい人は他人にも厳しい──確かに、そういう傾向はあります。でも、別の面では、他人には「仕方がないよ」とか「ちょっと休んだら」と言えるのに、自分には言えないという場合も多いです。

いずれにしても、客観性のない態度であることに変わりはありません。

自分を大切な友達だと思って扱う方法

自分に厳しくそれを自覚しにくい僕が思いついた、客観性を取り戻し自分を丁寧に扱う方法があります。それが、「自分を大切な友達だと思って扱う」という方法です。

まず、いまの自分の状態を、自分の大切な友人の状態に置き換えます。

そして、その友人から「いまの自分はこんな状態だ」と相談を受けたと仮定します。そして、その相談に対して、アドバイスを贈ります。そのアドバイス内容を、実際の自分自身にも適用する──こうすることで、客観的になり自分を丁寧に扱えます。

もし大切な友人に、自分の大変さについて相談されて、

「そんなの知るかよ。甘えてないで、死ぬ気でやれよ。やれなきゃお前なんてクズだよ、クズ!」

みたいな言葉が心から出てくるなら、実際にそういう状態なのかもしれません。でも、

「さすがに少し休んで、ある程度は元気を取り戻して、それから取り組むべきじゃない?」

みたいな言葉が出て来るなら、自分にもそれを適用しましょう。自分にだけ無批判の手厳しい人は、そういう道を選べないからです。

不安があって当然の世の中が来た

パンデミック後は、不安があって当然の世の中になりました。普通に呼吸しているだけでも、ちょっとがんばっている状態だったりします。

不安に囚われたり、元気が出ない人も多いでしょう。

そんなときに、自分を手厳しく扱う傾向のある人が、そのままやってしまっては、心身を痛めつけてしまいます。そんなの、だれも得をしません。

紹介した方法で獲得されるのは、「甘さ」ではなく「客観性」です。自分自身も、他人と同じようにフェアに扱いましょう。

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長田英史(おさだてるちか) / NOT SHIP
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