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コロナ慣れ日本で 「何事もなかったふり」は危険すぎる

コロナ慣れの日本。昼も夜も人が溢れる街にいると、まるでコロナ前に戻ったみたいな錯覚に襲われます。でも、それは錯覚。世界は非可逆的な変化を遂げました。変化には、楽しい側面もありますが、辛く苦しい側面もあります。「何事もなかったふり」をして無理をすると、心身を損ないます。この難しい時期をどう過ごせばいいのか、整理してみました。

表面は戻っても、中身は戻らない

いま、都心には人が溢れています。先日、ゴールデンウィークの原宿駅を通ったらすごい人出で、まるでコロナ前に戻ったかのようでした。日本人ばかりなのと、ほぼ全員がマスクをしていますが、風景はコロナ前に似ています。

でも、表面は戻ったように見えても、中身は違います。

多くの人が仕事を失いました。仕事を完全に失っていなくても、その仕事を通して得ていた安定、自信、充実感を失いました。街の風景がほぼコロナ前に戻っても、人の内面はコロナ前とは大きく違います。

たとえ自分自身がいま比較的安定していも、近くにいる人は苦しんでいるかもしれません。

何事もなかったふりをしてはダメ

こんなときやってはいけないのは、「何事もなかったふり」をすることです。内面では、経験したことのないような嵐が吹き荒れ、大切なものを吹きさらってしまったのに、表面では「え? 別に元気ですよ?」みたいな顔をしていてはいけないのです。

元気がない時でも、元気にふるまうことで、元気が出て来ることがあります。口角を上げて笑顔をつくっていると、本当に笑顔になれることがあるように、「呼び水」としてのちょっと無理した元気というのはあります。

でもそれは、本当に元気がなくなっていない人の場合です。まだ余裕があるけど、元気が表面にうまく出てこない人にだけ、効果のある方法です。

もうエネルギーを使い果たし、枯れた状態にあるのに、あたかも元気なふりをするのを「空元気」といいます。空元気というのは借金と同じで、そこで無理した分に利子がついて、後で反動としての落ち込みがきます。やっていはいけないことなのです。

もう一歩奥にある気がかりを話そう

空元気で「何事もなかったふり」をしていると、人は心身を病んでしまいます。

コロナは、多くの人から、その人が「大切だと思っていたもの」や「自分自身を大切に思う気持ち」を奪いました。今回のパンデミックは世界史的な出来事で、多くのことを元に戻らない方法で変えました。

変化には良い面と悪い面があります。でも、悪い面にさらされて脅かされているときに、良い面を意識するのはとても難しいことです。それには、心のなかにある重荷=気がかり、解決策の見出せない悩み、堂々めぐりの恐れを、外に出す必要があります。

具体的に言うと、いままでの人間関係において、「そこまで深い話はしなかった部分」に触れるような、もう一歩奥にある気持ちを、話し合うということです。解決しなくても、いま話すことが必要です。

コロナ慣れのいまこそが緊急事態

この変化を、「あの時は辛かったけど、あの経験があったからいまの自分がある」と述懐する日がきっと来るはずです。でもそのためには、無価値な強がりや何事もなかったふりをせず、気持ちを話すことが「あり」な空気を、自分と自分の身の周りにつくる必要があります。

表面は平穏でも、内面は嵐が吹き荒れている──そんな状態の人が、どんな社会階層にも大勢います。いまこそ“緊急事態”なのではないでしょうか。助け合いましょう。

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