心の故郷、東北のこと

私は、2017年からの2年間を宮城県石巻市で、2019年からの4年間を仙台市で過ごしている。いわゆる被災地と言われるエリアである。津波の猛威により変わったという街の、震災以前の姿を私は知らない。
震災から6年経った時に来た街は、その時もなお、あまりにも大き過ぎる震災の爪痕を残していた。
私はこの街が好きだ。ただ、私の好きなこの街の見た目は、震災前とは大きく異なっているらしい。

12年前のあの日、まさに津波が襲ってきた工場などを私は営業で周ることになった。その場所であの日を経験した方々から聞く話は、とても私などでは想像しきれないようなものであった。
「この窓に、流された俺の同僚がぶつかって、そのまま流されていくのを見たんだ」
「この非常階段の手すりに、流されてきた遺体が引っかかっていた」
その話を聞く度に、その場所を目の当たりにする度に、自分が生きていることが決して当然ではないことを、ひしと感じさせられた。

あの日から12年。干支が一回り。今もなお、いや、これからも、おそらくあの日を被災地で過ごした方々の心の傷が癒えることはないのであろう。

私はこの街を、“被災地”としてではなく、今後も“心の故郷”として大切に想い続ける。それはこの街が、この街の人々が、この街の景色や食べ物や空気が、私に寄り添ってくれたから。
同じ日本に、同じ世界にあるこの街を、どうか皆さんも遠い存在だと思わないでほしい。
あの日、皆さんと同じように当たり前の日常を過ごしていた人たちが、突如として街が変わり果てる姿を目の当たりにしたのだから。
そして何より、今、また日常を過ごしているのだから。
だからどうか、東北に遊びに来たり、東北のものを食べたり買ったり、そんなことで身近に感じてほしい。それがこの街の人たちが望むことだから。

最後に、東日本大震災で犠牲になられた方々に追悼の意を込めて、黙祷。

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