バリアフリーのハロウィン・パーティー
ハロウィンの空に満月
10月31日はハロウィンである。私はハロウィンの意味があまりよく分からなかった。年々ハロウィンは若者たちが仮装してきらびやかなお祭りになっている。
しかし最近は参加する人々がお酒を飲み、暴れだすシーンが多くなったように思える。美しいハロウィンの時代は私も東京に行き、仮装して行きたいと思っていた。黒柳徹子さんがくださったグリーンのドレスを着てみたかった。でも今年はコロナなのに酒に酔い裸になり、川に飛び込んでいる若者がいたというニュースを見た。ハロウィンの警備に一億円もかけたという。残念でたまらない。
しかしお祭りが終わった後、一人の50代ぐらいの男性がごみ袋をもち、手袋をして、マスクや酒の瓶などのゴミを拾っていたというニュースも見た。その人の姿に美しいハロウィンであることを感じた。
家族みんなで自転車にのって
その夜、私の部屋の窓からは満月が見えた。今年は46年ぶりのブルームーンで、それは黄色いダイヤモンドのように輝いていた。満月を見ていると、遠い子どもの頃を思い出す。
私は戦争が終わり落ち着いて食べ物も食べられるようになったころ和寒町で生まれた。町にはまだその頃、電気も水道も学校もなかった。しかし父が村長さんに訴えて水道や電気を通した。学校は村のお父さんたちが集まり、手作りで建てた。
学校ができたお祝いに映画会があるというので、父は自転車の前に姉を乗せ、後ろに私をおぶった母を乗せて向かった。その夜のことは幸せで忘れることができない。満月が私達を追いかけてくる。(そんなに私たちのこと好きなのですか?)と聞きたいくらいであった。
映画のことは何も覚えていない。しかし家族で自転車に乗り、満月を見られたことが嬉しかった。子どもの頃はたわいもないことで心が熱くなり笑うことができた。
父がこぐ自転車は月に向かって飛んで行っているようであった。歩けない私を母はいつもおんぶしてどこへでも連れていってくれた。
次はおばけのパーティーにきっと出られる
ハロウィンに見た満月は、あの幼い頃見た満月と似ていた。窓から月が見えることがこんなにも幸せな事かと思った。ヘルパーさんがその月を写真に撮ってくださった。次にハロウィンの日に満月を見られるのは36年後だという。私はもうこの世にはいないが、心がときめいた。ハロウィンがお化けのお祭りだというから、私も参加できるかもしれない。
息子が3歳の頃、花火を見に行った時「お母ちゃんお月様って寂しいの?」と突然言った。私が「どうして?」と聞くと、「お月様はずっと僕たちを追いかけてくるよ。どうして?」と聞かれ、心がドキッとさせられ答えが出なかった。3歳の息子が詩人に思えた。息子の言った言葉に私は昔の自転車から見た月を思い出した。子ども心はなんとロマンチックなんだろう。
来年こそは楽しい美しいハロウィンのお祭りにしたい。車椅子でもみんなが行けるものにしたい。地下街がよいだろうか。バリアフリーのハロウィンパーティーを行いたい。コロナが消えるようカボチャに祈る。