許すということ 【ウェルビーイングな読書会4】
昨日の「他者への執着を手放す」の続きで、
その他者への執着のひとつ、「許す」について
今日の課題図書も、
「しなやかに続く心の片づけ」
マーティン・セリグマンのことば
この本の中に、ポジティブ心理学の創始者の一人である、マーティン・セリグマンの言葉があって、
「許さないという行為で加害者を直接傷つけることはできないが、許すという行為で自分自身を開放することはできる」出典;しなやかに生きる心のかたづけ
と書かれてます。
許さないは他者への執着、許すは自分の開放。なんですね。
許せないとは?
許せないことはありますか?
許せなかったことはありますか?
もうずっと昔、理不尽だと感じたことがあって、それをずーっと許せない。と思っていたことがあります。
いやー、もう良いんじゃないと思っていても、どうしても許せない。
どうしたら、許せるのか。
思い出すだけでも苦しくなる。だから、どうしたら思い出さなくなるのか。
思い出さないために、許すのはどうしたらいいのか。
わからなくて、どうしたらいいの? って、泣きじゃくったことがありました。本当にすごく辛かったです。
許せないから、過去のそのときのことを思い出したり、
将来、どうやったら、ギャフンと言わせることができるかとか、絶対に後悔させるとか、そんなことばかり考えていた気がします。
でも、確かに、自分がどんなに許さない!って地団駄を踏んで思っていても、相手には伝わりません。
ワタシが考えるだけでもこんなに苦しい。と感じていても、相手の胸が痛くなることはありません。
何より、思い出したくもないと思っているはずなのに、許せないと言ってその人のことばかり考えているのです。
許すとは?
許すというのは、過去のすべての出来事を水に流してなかったことにするわけではなく、また相手のしたことを正しいものとして受け入れるわけでもありません。
ただ、心のお腹で固くしこりのようになっていたこだわりを手放そうと決めることです。しっかりと梱包された重たい荷物の怒りの紐をゆるめるのです。 出典;しなやかに生きる心の片づけ
たいてい、自分が優位になったり、その事柄から超越した気分になったときに初めて許す気持ちが湧いてくるものだと思ってます。
でも、ここでは全く違っていて、
もう相手は全然関係なくて、自分のための行為、自分を開放することだと。
確かに、許さないというのは、相手にとって、鬱陶しいことだと思っていたのだけれど、鬱陶しいのは、自分にとってだけ。
そして、許すとその鬱陶しいところから開放されるということなんですね。
そして何より、許さないという思いは、ずっとその相手のことを考えてしまうわけです。
自分の大切な24時間しかない時間を、許せない、その人のために使ってしまうという…本当にそれでいいのでしょうか?
許さないって、全然いいことないですね。
こう考えていくと、まさしく、許すは、自分の開放ですね。
これを知ってから、許さない。と思ったことはないです。
やっぱり、自分の心は自由でいたいですから。
今日の感想文はここまで。
今日も読んでくださって、ありがとうございます❤