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折坂悠太「呪文ツアー」

最終日、LINE CUBE SHIBUYA

折坂氏の公演に行くのは初めて。席は2階の後ろのほう。演奏がはじまると、暗闇のなかでステージだけがぽっかり浮かび上がって、なぜか昔見た人形劇を思い出した。

最近は音楽を聴きに行くといつも、ボーっとしてしまう。どうでもいい思考が波みたいに寄せては返す。わたしは集中力がなくてもうダメなのだと思う。

照明が派手だった。そんなにいいと思わなかったけれども、SNSで、あの曲の照明、緑と赤だったね、折坂氏は白いシャツを着ていたし、ホールの中の暗闇は黒いといえるよね、みたいなことを言っている人がいた。よくよく思い出してみると、たしかにそうなのだった。それはもう、そういうことなのだった。

照明のことにはまったく考えが及ばなかったのだが、奇しくもわたしが考えていたのも、赤と緑と白と黒のことだった。

去年からボイコットを続けている。ボイコット対象の企業に、某有名ファーストフードチェーンがある。虐殺を続ける軍隊に、無償で食事を提供していたらしい。それを知ってから、もちろん、その店には行かなくなった。

折坂氏の歌を聴きながら、気付くとすべてが「無理」になっていた。ボイコットくらいで何かした気になっている自分。ハンバーガーを食べて、そのあと人を殺しに行く若者。ハンバーガーと人殺しなんて、本当に似つかわしくない。友達とグダグダしながら、ミルクシェイクをすすっていてほしいのに。

それができないのならばせめて、音楽を、と思った。絶対に無理なことはわかっている。わかっているけれど、自分が今見ている光景を、生きている、もしくは死んでしまった遠い国の若者たちに、見てほしい。そう祈った。涙が出てきて、しばらく止まらなかった。

途中からわたしの思考は仕事や日々のことに切り替わり、そうこうしているうちに公演は終わっていた。まったく集中できず、胃が痛かった。

しかし、わたしはやっぱりあの場にいられてよかったと思うのだ。ただ愛好しているだけで、音響のことも音楽のこともよくわからない。彼(もしくは彼ら)が公演にこめた思いや祈りに気付くことなく、恐るべき鈍感さをもって、朦朧たる頭で眺めていたにすぎない。

それでも、と思う。

できれば次は、もうすこしクリアな頭とからだで、再会したいものである。

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