エッセイ_絶望する顔が好き
ポールシュレイダー監督の「魂のゆくえ」が好きだ。
部屋で流しっぱなしにして、作業をしている。
この映画の一番惹かれるところは、イーサン・ホークが演じる主人公トラー神父が、常に絶望の表情を浮かべているところに尽きる。独白する際も、誰かと対話する際も、瞳の奥に常に絶望を讃えている。
ポールシュレイダーといえば、映画タクシードライバーの脚本家としても有名だ。ロバート・デニーロ演じるトラヴィスも絶望を抱えているが、絶望よりも狂気が先走っていて勢いがある。
トラー神父から醸し出される絶望は、例えるなら、熱く重いマグマの表面のゆっくり動く感じや、血が一筋二筋とゆっくりと流れていく感じに近い。
最終局面で、目に見える形で、トラー神父が静かに自傷行為をする場面がある。静かに事が行われることもよい。この映画は全体的に静かだ。絶望は静かな「音」がする。沈黙や静寂ではなく、静かな音が、身体の奥底や脳の底から、ざらざらと音を立てている。無音になるのは、死ぬ時だけだ。
この場面では、トラー神父の外に向けるつもりであった暴力が、内側に向いて、自分を血塗れにして、絶望の中で生まれた獣を必死に抑えつけようとする。静かな暴力で、真っ白な聖職者の衣服に微かに血痕が、染み付く。
肉体は傷だらけであるのに、ほんの微かに、着衣の外に血が染み出ている。これが余計に深い絶望を感じさせて良い。血塗れなものは、一線を、絶望を越えてしまった狂気がある。静かな絶望の音を、ずっと聞いていたいときがある。魂のゆくえは、そんな時に見るには、とてもいい映画である。
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