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短編「リコリス」

 リコリスがヒガンバナの一種であることを、今日、はじめて、知った。
 冬の海、潮風は肌に刺さる。ごくごく小さなガラスの破片がわたしの脚に刺さっていくような感覚がある。指の腹で撫でてみる。傷などひとつもなかった。ひえきったわたしの皮膚は、杏奈の家にあったビスクドールの肌となんら変わりのないように思えた。

           *

 九月、杏奈はヒガンバナの花束を持ってわたしに別れを告げた。
 不吉な贈り物なのにね、とひねくれた口角をもって杏奈はいたずらっぽく言い、わたしのたいらな胸にそれを押しつけた。どう、欲しかったんでしょ、これ、――ほしかったよとわたしは笑ってみせた。愚鈍なわたしが花束を抱きしめたのを見て、杏奈は泣きそうな目をしていた。
「あのね、コっちゃん、あんた、不幸でいないとだめだからね?コっちゃんは、しあわせになろうと思っちゃ、だめだからね。そうしたらあんた、死のうとするからね。ぜったい死ぬよ」
「不幸でいるよ」わたしは、杏奈へ、甘ったれた声で呟く。「しあわせは、こわいよね」
「こわいのよ」
 杏奈はぐっと目を細め、わたしの頬に手を伸ばし、輪郭を確かめるようになぞっていく。その指先がひどく震えているのを、わたしは見なかった。目を伏せ、杏奈の指先の温度だけをおぼえようと口を噤み、ヒガンバナを見おろしていた。土と濡れた葉とさみしいにおいがした。

「コっちゃん、しあわせになろうなんて、おもわないでいてね」

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