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アートってなぜ必要か?

 というわけで、今回は、「アートってなぜ必要?」というお話をしていきたいと思います。

 こんにちはフクシンです。

 今日は、アートって必要かというお話です。なぜそんなタイトルにしたかというと、最近入らせていただいたオンラインサロンで、このテーマが取り上げられたから、今日はこのタイトルにしました。

 皆さんにとって、アートって何ですか?必要ですか?

 みなさんも、アートに触れること沢山ありますよね。その時、どんな気持ちになりますか。美術館、ギャラリー、劇場、ライブハウス、最近ではNFTなど。その価値は、人によって評価は様々ですよね。またアート自体にもいろんなとらえ方があります。

 僕は、学生のころ、アートとか アーティスティックとか、そんなキーワードに意味もなく、あこがれを持っていました。大学受験の時、それまで勉強したこともないのに、芸術系、絵画や造形の大学を受験し、落ちました。その時は、アートとか美術って習うものじゃない。自分を表現するものと思ってて、だから自分に自信もあったので、受験したんですが落ちました。

 これは、単にその他大勢のサラリーマンではなくって、アートで生きていくという道を選択して、人とは違う人生を歩みたい。そう思ったからです。

 今では、アートは公務員の仕事でも少し関わりがあったり、タップでも関わりがあったり、また大阪大学のアート人材育成プロジェクトに参加させていただいたりしています。その中でもアートという言葉ひとつとってもいろんな切り口があります。今日は、いろんな視点でお話をします。

 僕は、人とテクノロジーをタップダンスでデザインする地方公務員としてタップダンスのお話や、コミュニケーション、キャリアコンサルタントなど、ぼくの身の回りに起こるいろんなお話を発信しています。
 今回ご紹介する動画以外にも有益な情報がいっぱいあるので、ぜひチャンネル登録をしておいてください。


アートが必要と感じる瞬間

 アートが必要である理由。それは、アートが認められる社会がそれぞれの人の違いを認めることの証。また、人それぞれのらしさを表現できることが大切なのでは、難しいことはわかりませんがそんなことを思います。
 そのことをこれから順を追ってお伝えしていきます。

 最近、YouTubeをよく見ます。映像と音声で様々な情報を与えてくれます。あらゆる場面でこうしたメディアはぼくたちの生活の一部として入り込んでいます。こうした情報は、自分で選んで、見たり聞いたりするのですが、ぼくには最近、時々それがしんどくなる時があります。
 デジタルデトックス。とまでは言いませんが、 音も何もない時間、例えば車の運転中や入浴中、ランニングのときに脳を休めてみると、なんとも言えない解放感に包まれることがあります。

 人には右脳では芸術的なことを感じ、左脳では論理的なことを理解するようできていて、そのバランスは大切です。先ほどの解放感に包まれるときに、良くいいアイデアが生まれたりもします。このように無になれる瞬間。その時こそ、普段の自分よりも力が発揮できる瞬間が僕には訪れます。

 アートには、少なくとも、左脳で考えるんじゃなく右脳で感じるというもので、曲の詩など、言語的なメッセージもありますが、基本的にノンバーバールのコミュニケーションです。
 無になれる、自分の体に浸透するような感じ方、これはいわゆる、なんか好きってものが僕にとって価値のあるアートです。

人の要求から見た視点

 ぼくはマズローの5段階要求説ってのが好きなんですが、人の要求が下から①生理的要求②安心安全の要求③所属したい要求④承認要求⑤自己実現要求があって、①から順番に要求が上がっていくものです。

 ①~②は自分でどうにもできないもの③~⑤は自分でどうにかするものですけど、特に④~⑤に至るまでのガソリンみたいなのが、アートとか音楽とかダンスなのかなとも思っていて、人の要求には欠かせないもの

 アートを発信するものにとっては、自己実現の過程において、人から承認される。そんなプロセスが必要ではないか。そう思います。また、多様性を認めようという世界では、こうしたアートを認めてあげられる社会が求められている、そう思います。
 アートを受信するものにとっては、自分が無になれる、その人に浸透するアートが承認要求につながり、自己実現へと誘われるのではと思います。

タップダンスデザイナーとしての視点

 タップやってて思うのは、レッスンに来てくれる人の思い。とにかくこの1時間を本気で取り組む。普段とは違い妥協しない自分を出す。また、単にタップを楽しみたい。人と違うことをしたい。タップってなぜそんな音が鳴るのか不思議。その世界に触れたい。また、タップの世界観が好き。いろんな思いを求めてきてくれています。
 レッスンでは、基礎を伝えます。タップでは靴の床への当て方によってひとつひとつの音が違って、少しだけ音程や音の質なんかも違って、その組み合わせで振付やタップの音が出来上がっていきます。

 また、レッスンではショーダンスなんかで合わせるときに使ういろんなテクニックや振り付けもやります。
 タップがほかのダンスと少し違うのは、インプロヴィゼーション。
 いわゆるアドリブで踏むレッスンもたまにします。

 ここでも、基本的に楽器や音楽との合わせ方。この基礎をやりながら発展させていきます。 
 ダンスをやってみて初めて思ったのですが、やはり自己表現は基礎があって、表現したい方法がわかって生まれてくるもの。自己流では、表現したいものが自分の力さえも発揮できないかと思います。

 タップでいうと、アートは、エンターテイメントではない自己表現。だれかに向いたパフォーマンスじゃなくて、パフォーマーがパフォーマーのためにする表現。でもそんな内面が、他人にエンターテイメントよりも刺さる。そんなのがタップにおけるアートだと感じています。

 アートって、100人が100人優れていると評価できるような絶対的な評価の軸がないと思います。
 要するに、その人なりの表現方法。それを共有して、人の感情にどれだけ働きかけるか。

アートと公共政策

 地方自治体で財政の仕事をやっていると、まず優先されるのは命を守るための予算です。例えば、社会保障費、災害の備え、保健衛生、災害時の避難も含めて道路公園。また最近では子ども関係では、教育、また学校以外の居場所などは、社会的に重要視されます。

 どうしても後ろ回しになるのは、文化、社会教育

 でもこれをどれだけ大切にできるかで、シビックプライドが共感されます。それが地方創生のひとつの姿だと思います。
 つまり地方自治体の施策から見ると、市民の民度を図るものは、文化。これはシビルミニマムで、地方交付税では基準財政需要額の25%で行う地方の独自事業です。

 では、公共政策的には、アートは必要とされるのでしょうか。

 ヨーロッパでデンマークやドイツなどでは、長い間国の文化がアートに培われていて、幸福度が上がっていると聞いたりします。
 最近、日本でも公共政策とアートとの共創というテーマをよく耳にします。また、学校では演劇が授業として取り入れられている事例もお聞きします。

 それでも、公共政策的には特に最近、Evidence-Based Practice(EBP)ということが謳われ、KPI(重要業績評価指標)など目標設定を求められます。アートの公共政策での成果は効率性で計られるものではなく、また効果性についても一番示しにくい分野です。

 これまでのことを通じて僕の考え方は最後にこうまとめてみます。

 アートは、命を守ること、安全に暮らせることが確保されたら、その次にくるもの。
 最近は、SNSでも炎上したり、人に寛容でなく、ひとつのミスを徹底的に追及したり、とこどんまで追い詰めたり。いじめがあったり、格差社会があったり、様々な社会問題があります。

 この社会問題の多くは、これがあればある程度解決できるのではとぼくなりに思うことがあります。

 それは ゆとり

 ゆとりとは、心が一番ですが、時間、お金、様々なゆとりがあります。アートは、個性を発信し、その個性を好き嫌いは別にして認め合う。そんな材料としてアートは個人が発信すること、受信すること、政策的に取り入れること、今の社会課題を解決する糸口になる可能性があるのかもしれません。

 ゆとりがあって、人と仲良くできる。他者と通じ合う、そのためにアートという絶対的じゃないものが介在し、違いを認め合える。

 そして一人一人が無になれる瞬間、人間として野生になれる瞬間に、いつも以上の力を発揮できる。

 そんな感じかな?

 でも、今僕が言っているのはきれいごとってのはわかっています。

 今日も最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
 YouTubeのチャンネル登録とLINE公式アカウントもよろしくお願いします。
 人とテクノロジーをタップダンスでデザインする地方公務員 フクシンでした。
 また次の動画でお会いしましょう。

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