「どんなことをポジティブに変えますか?」
はじめまして!
非常勤カウンセラーをしております、瀧井です。
よろしくお願いします。
この質問を拝見してアドラーのこんな文章を思い出しました。
「我々はみな同じ世界に生きていると思っていますが、それぞれが意味づけした別の世界に生きている。同じ状況を経験したとしても、それをどう受け止めるか、どう解釈するかは人によって違うもの。その意味付けによって世界はまったく変わってしまいます。」
とは言え、経験した事象に対する受止め方・意味づけには人それぞれ癖があり、その癖を変えるのは容易なことではありません。
私は30代で余命宣告を受けたことがあります。
見舞いに来た家内と娘ら(幼稚園と小1)を前に、「この治療は期待しないでください。30%未満しか効果がありません。でも、このままでは90%以上の確率で…」と余命を告げられました。
娘が成人してから教えてくれたのですが、家内は医師からその宣告を受け、帰路子供らをファミレスへ連れて行き「きょうは何でも好きなものを注文していいよ」と言ったそうです。
これが最後の贅沢…と覚悟したのかもしれません(それにしては安い贅沢)。
この時の私の受止め方は「授かった命ですから、いつでもお返しします。ただ子供らが巣立つ迄、家族を守るのは親のつとめ。それが、森羅万象の道理でしょう。このことを死ぬ前に神仏に伝えたい」というものでした。
昔から深山には神仏が宿ると言われます。
そこで修験の山、大峰へ毎月2度入峰を続けました。
半年の治療で65㎏あった体重は45㎏に減量していましたが、不思議と体力はもちました。
「神仏にもの申す:親のつとめを果たすのに子供らが巣立つ迄、とりあえず命を頂けるか、それがかなわないなら神仏が家族の面倒を見てくれますか?それが森羅万象の理…」と…。
変な奴だと思われるかもしれませんが、死ぬ覚悟はできても家族を路頭に迷わすことは…「現成」受容できないという思いでした。
完治確認に10年の経過観察を要しましたが、大峰入峰も25年目を迎えました。
その過程で「おもろい奴や!」と吉野山金峯山寺からスカウトされ、在家修行僧になりました。
今夏も大峰入峰を続けておりますが、「なんでやねん、そこに愛はあるんか(アイフルCM)」ではなく、「懺悔懺悔 六根清浄♪」と唱えております。
和尚曰く:人、それぞれいろんな苦難(ネガティブな事象)・災難に出会い、「現成」受容するしかできないこともある。
そんな時に、その「現成」をどう「受・想・行・識(受取方・想い方・行動の内容・結果の捉え方)」するかによって、新たな「縁」が生まれ「縁起」を成す。
この「縁起」によって次の事象に出会い、自己の「受・想・行・識」によってまた新たな「縁」が生まれ「縁起」を成す。
言われてみると、64年の人生いろいろな「現成」に出会いながら、この「縁」と「縁起」で随分ネガティブがポジティブに変わり、助けてもらったなとつくづく思います。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?