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ここちのいい間を、考え続ける
by 合同会社mano CEO 西川将史
近頃「間(ま)」についてずっと考えてます
皆さん、はじめまして合同会社manoの西川です。
堺筋本町に出来た新事務所の居心地がよく、最近、大阪デザインセンターに加入した新参者です。「ちょっといい、間のプロデュース」というのを大切にしながらお仕事をしている事情もあり、日頃から「間(ま)」についてつい考え込んでしまいます。
考え込むといっても、ささやかな情報の雑多なつながりでして。
たとえば、芸事において生身の演奏者や踊り手や武芸者に関わり包まれる「場」があり、そこで表現される業には「型」、たとえば踊りや生け花、茶の湯の作法もあれば、日本舞踊や相撲の取口、文楽の動きや三味線の弾き方、神事のしきたりなどそれぞれ様々な型があるなぁ。
この色々な芸事が持つ型ひとつひとつには、余白や裏拍が伸び縮みする「間拍子」のようなゆらぎをはらんだものがあって、宮本武蔵の『五輪書』では、「さかゆる拍子」「おとろふる拍子」「そむく拍子」と分かれていて、間拍子が引かれたり、背いたりしていたなぁ。
この間が、演者の個性の素になっているのかなぁ?といった、特に答えがでるものでもない間延びした考え込みに、とらわれています。
ほかにも、俳句では短い言葉の「切れ」があることで間が生まれていて、句と句の中に膨大な空白の間があるなぁ、とか、書道でも「間架と結構」だったり「余白」として間がたいせつにされているなぁ、とか。
あれこれ由来や語源、解釈などをたくさん調べてみては、結びつけてみたり、見比べてみたり。かなり間に引き込まれています。
このところお気に入りの「ume.yamazoe」にて
空間と時間とこころの間
田舎の実家では襖や障子のような仕切りがあり、取り外すだけで広い空間に様変わりするような、風通しのいい空間がありました。自宅は狭い部屋なので実感することは少なくなりましたが、建具で仕切られながらも自由自在に景色が組み変わる空間にいると、不思議と季節とともに自分の考えもうつろうようになりました。
そして有難いことに、日々色々なご相談をいただき、ああでもないこうでもないと楽しくお喋りをしながら暮らしています。刻刻と変わる時流にうまく乗るように、ものごとを短い間に詰め込んで邁進してきましたが、ふと流れの中でも立ち止まり、ちょっとひと息ついて何もしない時間を作るようになりました。
景色が組み変わり、ひと息余白を作るようになり、やっと人やものごとのあいだに長短さまざまな心理的な距離、こころの間が流れていることを感じ取れるようになりました。拍子とおなじく「栄ゆる」「衰ろふる」「背く」など、個性に応じて「ここちのいい間」が異なることも感じるようになりました。
といってもまだまだです。今一つ不足を感じるからこそ、常に間を問い、そのよさを整えていきたい。心間手敏。まだまだ未熟ではありますが、いつかその域を目指していきたいものです。
少し間延びした文章でしたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
これからもちょっといい、間のプロデュースを心がけていきたいと思います。
合同会社mano
クリエイティブ、ビジネス、テクノロジー、人間力。これらを融合したブランディングを通じて経営者たちの「あきない力」をのばし、くらしも仕事も永く楽しみ続ける、総合ビジネスデザインを行っています。
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