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私が海に潜るとき

「海の日」はなんだか無性に海に行きたくなったので、海に潜るということを考えてみた。

私は人より耳の管が狭いらしく、耳抜きが難ありだけど、そんなこと関係なしに私にとって海は身体を和らいでくれる場所になっている。

何度かダイビングをしていくうちに、だんだん私の耳が海と仲良くなれてきた気もする。
その証拠に、潜った海から上がって2.3日は耳に水が入っている感じがしたのが、海から上がるとすぐに解消されるようになった。

耳が詰まりがちの人ならわかるかもしれないけど、ずっと詰まっていると日常生活に大きな違和感が消えなくなってしまう。
それを知っているからこそ、潜り終わってすぐに耳から水が出てくるようになってからの喜びと解放感は絶大なものだった。
経験を重ねると耳も少しずつ順応してくれるのかと感激した。

でも私の周りのダイバーは耳が詰まらないのが当たり前のことらしいので、このなかなか共感してもらえない感激を私はいつも一人で心の中でこっそりバンザイして喜んでいる。

そうやって耳に難ありなくせに、海の中に入ると最上級に癒されながら、一丁前に写真を撮ることも楽しんでみたりする。

私が海に潜るとき、写真は最低限にして、自分の目で見る世界のインプットに集中したくなって、「この世界を覚えておきたいなぁ」って思って1枚撮るくらい。

ただ、そこに生きている小さな生き物を撮るときは、満足するまで可能な限り、粘る。
自分でシャッターを押した写真の中の生き物が、生き生きしていると私は嬉しいらしい。
その瞬間を狙うためには、自分の呼吸も忘れるくらい夢中になる。

本当に忘れたら危ないから、実際には自分が吐いた息の泡で視界が見えなくならないよう、そして吸った時に体が浮かないよう、できるだけ息を止めてるってくらい夢中になっている。

1センチくらいの生き物に対して、尋常じゃない集中力でレンズから見つめている気がする。外から見たら何を撮ってるかわからないし、ヘンテコな姿勢で止まったまま、息も止めてその瞬間を待っている姿は、陸ではかなり滑稽に映るだろうなぁ。

そんな集中して小さな小さな一匹を見るのも、海の中ならではな気がする。
そういう集中力含めて、私は海が好き。
こんなに好きになれることを最初に体験させてくれた先輩への感謝もずっとなくならない。

私が海に潜るとき、生きていることを、生かされていることを、気持ちの良い集中力で海の世界に癒されながら実感しているのかもしれない。

次は初めての島に新しい仲間も加わって潜りに行く予定だから楽しみだ。
その楽しみに向けて、この夏の熱さも、精一杯生き抜く、ぞ。

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おさない えりか
読んでいただき、ありがとうございます! 子どもの頃の「発見の冒険」みたいなのを 文章の中だけは自由に大切にしたくて、 名前をひらがな表記にしました。 サポートしていただけると とっても励みになります。

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