憧れの、南の島
大好きなカオハガン島に行ってきた。
カオハガン島はセブ島沖のオランゴ環礁にある、小さな島だ。
30年ほど前から日本人がオーナーとして所有し、島の元々の生活を守りながら、観光客にもビーチを開放している。
その島を運営するという営みやベースとなる考え方、在り方、何より豊かな海洋の自然が美しく、つい足が向いてしまう。
ここにくると、色々と吸収しすぎた無駄な思考が浄化されて、一番シンプルな自分でいられる気がする。実施、島にきたときは口数が圧倒的に減って、話すのが遅くなる。
なぜだか知らないけど、無意識にそうありたいと思っていて、でも日常生活は仕事や対人関係上、できていないのかもしれない。
セブ島から小さなボートで40分ほど飛ばすと、カオハガン島につく。
ひと目で島の全貌が見えてしまいそうなサイズの土地に、イラストみたいな椰子の木がモリモリと生えている。これぞ南の島だ。
今回島をみた時、何かから逃げてきたような、ホッとした感覚があった。
同時に、自分は「ここではないどこか」に行きたがる癖があると思った。
日本にいたときは海外に行きたがったし、海外に来たら離島に行きたがっている。
そして、その究極は海の中だと思う。
スノーケルやダイビングで水の中に顔まで浸かると、外の音が聞こえなくなり、目の前が珊瑚礁と魚たちだけになる。耳に入るのはスコー、スコーという自分の呼吸だけ。太陽が出てくると水中もキラキラと煌めく。
究極の、「ここではないどこか」ではないだろうか。
島について、島内をぐるっと散歩して、スノーケリングをして、ハンモックで休憩をした。野菜そのままの味を楽しむランチを食べてから、島民とラムコークで乾杯した。
おもてなしで出してくれた得体の知れない貝(生)を食べてたら、帰ってからお腹を壊した。そうだよな、なんならお腹を壊すくらいでよかったな、と思う。
日本人の衛生基準には届いてないことは予想していたけど、笑顔で差し出してくれるものにNOと言いたくなかったのだ。心に体がついてこない、雑菌0で生きてきた日本人の体の脆さたるや。
そのあとは島の裏側のビーチで泳いだり、停泊している小船から飛び込んだりした。裏側のビーチは事前許可を取っていない観光客は入れないので、基本島民しかいない。
驚くほど、ビーチが美しかった。
見た瞬間に、「美しい」以上の語彙が欲しいと思った。
フィリピンにいると度々思うが、見た通りに、海やビーチの美しさを表す文章が見つからない。
透明度が高いとか、コバルトブルーの海だとか、真っ白な砂浜だとか。
どれも合ってるんだけど、美しさは表現しきれていない。伝わらない。
きっと目に見えるもの以上に、その空間を作るものがある。足の裏で感じる砂の細かさ、海や空の彩度の高さ、人工的な音が聞こえないこと、パソコンから離れて自然の中に入り込んでいく感じ。
全部が組み合わさって、その空間に感動しているのだ。だから目に見えるものを一個一個表現しても、表現が足りない。
ちなみに唯一、その美しさを表現できる言葉を思いついた。
「ほんまに、とりあえず一回行ってくれ」
これは表現の放棄だろうか。
そうかもしれないけど、本当に感動した時ってこうなるんだよなぁ。
自分の陳腐な表現力で、その美しさを半減させたくないとき。
ちなみに宿泊をして、砂州越しの夕陽でも見たときにゃ涙が出るよ。
人生で美しさに感動して泣いたのは2回、そのうちの1回がカオハガン島の夕陽だ。
ほんま、一回行ってみて、カオハガン島。
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