右よし! 左よし! 「赤道」よし! ウタマロせっけんを「これは、お菓子です。」と答えた私。 #キナリ杯
私は、この目で見たのだ。
ー そう、あの「赤道」を。
赤道って、赤い道って書くでしょ?
本当に、赤いのだろうか。
地理で使っていた、どこでもドアならぬ、どこにでも旅行気分~♪ の「地図帳」で見たような、赤い線が約40000キロも引かれているのか。
ワクワクと緊張、不安を携えて大学4年生の私は、東アフリカのウガンダ共和国の地に降り立った。
■ そもそもなんでウガンダなの?
なんで、ウガンダなのか。
「暑い」 と 「寒い」どっちがいい?
と聞かれたからだ。
「暑いほうがいいです。」と答えた。
質問の主は、研究室の教授
それなら、「ウガンダ共和国だね」と教授が言う。
私は、心の中で「本気で言ってるのか、この人…」と。
「この国がいいね。」と君が言ったから、何日かは忘れたけど、ウガンダ記念日。
このようにして
卒業研究の調査地が「ウガンダ」に決定した。
研究内容は、井戸の水質調査。
みんながイメージできるであろう、手押しの井戸。
それの水質を調べて、卒業研究を書くことになった。
なんで、ウガンダなの? と聞かれれば、この一連のやりとりをお伝えするしかない。
理由は、あるようでない。
ー 赤道は、後からついてきた。
(解説:結果は、後からついてくると言う、アスリートをイメージしました!)
■ ウガンダ到着とハプニングの連続
成田 ー ドーハ ーウガンダ
乗り換え1回で、ウガンダには行くことができる。フライト時間は、16時間ほど。乗り換えの時間も含めると、約1日かかる。
寝ても覚めても、飛行機の中。
ヘトヘトになりながら、ウガンダのエンテベ国際空港に到着した。
ゲートを出ると、そこにはウガンダ人だらけ。
とうとうアフリカに来てしまった。
そう思った。首都カンパラまでは、タクシーで行くことにした。
大きなキャリーケースを持って歩く、日本人は現地の人から見れば、
「わたしは、カモです!」と言っているようなものだろう。
タクシードライバーが群がってくる。
当然、ぼったくりの値段を提示してくる。
ぼったくられるわけにはいかないので、日本では、温厚な私も、怒りの表情と声で、交渉をする。
なんとか、相場よりも少し高い値段に落ち着いた。
疲れていたから、早くホテルに行きたかった。
しばらく、「世界の車窓から」の気分で景色を眺め、ようやくホテルについた。
なぜか、空港で喧嘩したドライバーのおっちゃんとは、熱い握手を交わした。
ホテルに入る前に、荷物のチェックがあった。
どうやら、銃を持っていないかの確認らしい。
ウガンダは、ふつうに銃を持っている人がいる。
荷物のチェックの最中、日本の物が珍しいのか、いろいろと「これは何だ?」と笑いながら聞かれた。
その中のひとつに、「ジップロックに入った、キューブ型にカットしたウタマロせっけん」があった。
(ウタマロせっけんに絶大な信頼を置いていた私は、アフリカの地でも使うことにしていた。)
今でも、わからないのだが、「極度の疲労」や「聞き取りづらいなまった英語」、「アフリカにいるという状況」からか
「これは、お菓子です。」
「すごい色してるでしょ。ははは」
と答えた。
自分でも、ちょっと何言っているか、わからない。
でも、めっちゃうけた。ホテルの従業員と仲良くなった。
「日本のお菓子は、すげぇえ。」みたいなことを言われた。
まぁ何とかなったし、いいっか。と思い、部屋に入る。
そのホテルの周りでは、ありえないくらいの音量で音楽が流れている。
部屋が常に、揺れてる。1日中。
この周りは、やばい。直感で、そう思った。
Wi-Fiもない。
知り合いに会うまで数日ある。という完全孤立状態の私。
机や椅子をドアの前に、バリケードとして設置し、蚊帳の中で眠った。爆音の中でも、意外と寝れるもんだ。人間ってすごい。
ウガンダに来て、はじめての朝を迎えた。
ウタマロせっけんというお菓子により、仲良くなった従業員から、朝食が用意されていることを聞き、はじめてウガンダ料理を食べた。
いもばっかりだったけど、お腹いっぱいになった。
いけるじゃん!ウガンダ料理。口の水分を持っていかれるけど、なかなかおいしい。
(後に、じゃがいもやキャッサバ、蒸しバナナのような、もさもさ系を毎日食べるということに、このときの私は気づいていなかった…。)
朝食しか出ないので、食料や水を確保しなければならない。
勇気をもって、爆音の中に飛び込んでいくしかない。
そう思い、外に出ることにした。
外へ出ると、私以外の外国人を見ることはなかった。
外国人は珍しいのか、現地人に声をかけ続けられる。
絶対に、そっちに行くものか。
それよりも、食料を見つけなければ。
しばらく、びびりながら歩いた。
ようやく、小さな商店にたどりつき、慣れないウガンダシリングで、水と小石の入りのぱさぱさのパンとビスケットをゲットした。
それから数日、籠城生活をした。
ようやく、現地の知人に会い、本格的に現地調査を行うこととなった。
しばらくして、わかったのだが、私が泊まっていたホテルは、現地の人でもあまり行かないダウンタウンだったらしい。
ホテルの従業員さん、商店の店員さんはいい人だった。ありがとう。
恵まれていた。ラッキーだった。
■ ついに「赤道さん」とご対面
私の調査地は、首都から車で2時間くらいの場所にあった。
首都のカンパラから調査地までは、「マタツ」と呼ばれる乗り合いタクシーで移動する。
このマタツで、外国人はスリにあうことが多いという情報を聞いていた。
私は、どうやったら自分の身を守れるか考えた。
そして、ある行動に出る。
マタツには、明らかに定員オーバーの人数が乗車する。
密です。東京の満員電車よりも密です。
(スマホは特にスリに合いやすいので、この写真しか撮れなかった。もっと密なときを見せたかった…。)
そんな、マタツに乗車する際に、
めちゃくちゃ元気な声で
「ジェバレコ!!!!! ンゼ、リョウタ ァアアアアア!」
(訳:こんにちは。わたしは、りょうたと言います。)
と言うようにした。
想像してみてほしい。
日本のバスやタクシーで、大声で自己紹介しながら乗車してくる外国人の青年を。
まさに、ワイルドだろぅ?
なめられないくらい、やばくてクレイジーで、乗客を仲間にしてしまおうという
ヤバナカ作戦。
これが功を奏した。
乗客は、げらげら笑う。
数えられないくらい、マタツに乗車したがスリに遭うことはなかった。
調査地での生活がはじまった。
英語と現地語(ルガンダ語)を話せて、バイクを運転できる現地人を雇いながら。
ちなみに、この方はアラフィフで、妻が7人、子どもが15人いるらしい。(本当なのかは知らんけど。)
そんな、おっちゃんの背中を見ながらバイクで、井戸の水質を見て回った。
そして、Xデーがやってきた。
そう、赤道を通る日だ。
おっちゃんが
「赤道あるけど、見てくか?」
と私に言った。
「もちろん、行く!」
とテンションMaxで答えた。
赤道は、マサカロードと呼ばれる道沿いに面している。
この道は、直線が多く、ウガンダ人はめちゃくちゃ飛ばす。
だから、交通事故が多い。
私も実際、何回も事故現場を見かけた。
(豆知識:ウガンダ人は、事故現場を見かけるとなぜか笑う人が多い。)
在ウガンダ大使館のサイトより
交通量が多いため
右、左の安全をしっかりと確認して、道路を渡り、赤道のモニュメントへ向かう。
ついに、赤道にたどり着いた。
言葉を失った。自分が赤道を目の前にしているなんて。
まさか、自分がこの地に来るとは地理の授業中、思ってもみなかった。
「赤道」
英語で「equator」
こいつは、自分の想像とは違って赤色ではなかった。
黄色だった。
この景色は、一生忘れない。
(これは、私ではなく、おっちゃんね。)
赤道付近は、観光地のようになっている。
そこでは、ある実験を見ることができる。
北半球と南半球では、渦が逆であるということ。
洗面台やトイレで見る、あの渦。
コリオリの力によるものらしい。
兄ちゃんが、渦のできる装置にお花を浮かべてその現象を見せてくれる。
有料で。
赤道を挟んで、1m違っただけでも、渦が逆になる。すごい。
そして、兄ちゃんが
「赤道上ではどうなると思う?」
と問いかけ、また実験を見せてくれる。
なんと、赤道上では渦が発生しないのだ。
ストンと水が落ちていく。
私は、兄ちゃんにマジックを見せられたのかもしれない。
でも、この目で見たのだ。
赤道が黄色で、赤道上では渦が発生しないことを。
地球って、すげぇ。
■ 研究と旅の終わり
ウガンダに来て、約2カ月。
赤道を越えて、北半球と南半球を行ったり、来たりすることに何も感じなくなった頃、調査を終えた。
それからしばらくして、帰国するためにエンテベ国際空港に向かった。
あぁ、もう日本に帰るのか、なんだか寂しいなぁ。と感傷に浸りながら、荷物チェックの列に並ぶ。
走馬灯のように、ウガンダでの思い出がいくつも、頭を巡った。
そんなとき、一匹の犬が私の荷物の前で止まった。
そう、麻薬犬である。
また、ハプニングの発生だ。
もうやめてくれ。無事に日本に帰らせてくれ。そう願った。
剣幕の警察官が、私に近づいてきた。
「キャリーケースの中身を見せろ。すべて出せ。」
もちろん、麻薬など持っているわけはない。
潔白を証明するため、中に入っていた「パンツ」まで警察官に見せた。
それでも、顔色を変えない警察官。
最後に、パスポートを見せる。
ふっと、顔の表情が変わった。
「なんだ、日本人か。行っていいぞ。」
私は、先人の日本人の行いに感謝した。
涙が出そうだった。
「ありがとぉおおおおお、日本人の先輩たち。」
と同時に、「ウタマロせっけん」を事前に捨てておいてよかった。そう思った。さすがに、今回ばかりは「お菓子です。」とは言えない。
そして、無事に飛行機に乗り込む。
ルワンダのキガリで、降りる人がいるため、一時着陸。
私の横の席の中国の方と、CAさんが何やら言い争っている。
いやな予感がするから、寝たふりをした。
寝たふりをしている私に、中国の方が、ペラペラの中国語で話しかけてくる。どうやら、この方は英語が話せないらしい。
怒ったCAさんも私に、「通訳してよ!」と言ってくる。
ー 「I can't speak Chinese.」
そう言い放ち、機内に中国人がいないか探した。
ドラマや映画で、「この中に医師はいらっしゃいませんか」と機内で言うように、中国語を話せる方を探す。
いた。案外近くに。
その方に、丸投げした。
どうにかしてくれと。
(ごめんね。)
キガリからドーハへ、飛行機は向かう。
後ろの席の、ルワンダ人のお坊ちゃま2人に、話しかけられ、スマホを取られそうになりながら、ジュースをこぼされながら、ドーハに着陸した。
ドーハから日本行きの飛行機は、ドーハ旅行帰りの、日本人のおじさま、おばさまで埋め尽くされた。
そこからの記憶はない。安堵からか、爆睡していた。
日本に帰ってきた私は、ウガンダの伝統的な柄の服を着たまま、ラーメン屋さんへと駆け込んだ。
■ 赤道を跨いだ男の現在
ー あれから、2年が経ち
日本でごく普通のサラリーマンとして私は生活している。
海外の「か」の字も出てこないような会社で。
ウガンダに行って、赤道を見て、大きく価値観が変わったということはなかった。
よく、旅に出た人のインタビューで「価値観が変わった」、「あの旅が私を変えてくれた」ということを聞く。
私も、それを少し期待していたが、期待通りにはならなかった。
人生、期待通りにいかないことのほうが多い。
それでも、赤道を見てから大切にするようになったことがある。
「さいとう りょうた」が大切にしていること より
自分の足で現地に行き、自分の目で見たものを信じて、考える。
情報があふれる、この世界ではきっと、大切だ。
ででん! ここで問題です。
赤道は、何色でしょうか?
一般ぴーぽー:「赤色!」
ブッブー、残念!
黄色でしたぁ~!
ってドヤ顔で言うのが、私の生きがいのひとつになりましたとさ。
おしまい、おしまい。