アウトプットの多い人は、ネタ選別のハードルが低い
以前は、毎日ブログを書いたり、頻繁に動画を配信したりしている人を見て「よく毎日やってネタが尽きないな」と思っていたものだが、こうして毎日noteを更新していると、さすがに「書くネタがなくて困る」ということはもうほとんどなくなってきた。
もちろん、ある分野に特化して価値のある情報を発信し続けているような人は本当にすごいと思うけれど、僕みたいに、特にテーマも絞らず縛りもない発信を続ける分には、誰でもできるんだな、ということを感じるようになった。
基本的には、筆(キーボード?)の乗りそうなネタ、ある程度のクオリティを担保できそうなネタ、特に忙しくて余裕のないときはできるだけ負担なく書けるネタをチョイスしたいなと思うので、あれを書こうか、これを書こうかと悩む時間はそこそこかかったりする日もある。
その日ふと思ったことを「あ、これ書こう」と思ってネタにするようなときは問題ないのだが、いざ書き始めるときまでネタの決まっていない日には、この悩みが生まれることになる。
ただ、ここの悩み方も、毎日noteを始めた頃から少しずつ変わっていることに気づいた。
最初の2~3ヶ月くらいは、日常的に思いついたネタ案をメモしておいて、書き始める時点でネタが決まってない日はそこから引っ張ってくることがけっこう多かった。
ところが、ここ1〜2ヶ月くらいは、ストックしたネタを記事にすることはほとんどなくなった。
書き始めるときにネタが決まっていなかったとしても、「今日は何を書こうかな」と考えるときに出てくるネタの選択肢が、だいたいその時やっていることとか、考えたこととか、あるいはその日起こったことといった具合に、よりリアルタイムなものになってきているのだ。
そうなってきている理由は、前にもnoteで触れた「思いついたその時の熱量」によるもので、思いついてすぐであればあるほど熱いし、頭に浮かんできたことをそのまま書くだけなのでディテールを思い出すという工程もほとんどいらないから、「楽である」ということにほかならないだろう。
メモにストックは今も残すことはあるけれど、結局形にしないまま風化していくものが増えたことにもなる。
この変化は何か、と考えると、決して身の回りで変わったことが起きやすくなったとか、ネタにするためのインプット量が増えたとか、そういうわけではない。
単に、ネタにするテーマのハードルが下がっただけ。
たとえば、ランチで一時の誘惑に負けて「余計な出費をしてしまった」と思ったときに、そのくらいのことでも記事にするネタの選択肢になってきた、ということだ。
これはきっと、アウトプット(記事に限らず、動画や音声配信でも、SNSでも、あるいは人とのおしゃべりでも)が好きだったり、日常的にやっている人には共通して言えることなのだろうと思うが、色々な物事を掘り下げて、ふくらませる技術がついてきたことを意味しているのだろう。
ちょっとしたことを拾い上げて「あ、これはこう展開すると話題にできるな」という見通しを立てることができる。
その見通しの正確性と、掘り下げ方、膨らませ方の的確さがあれば、取り上げるネタが何であってもそれなりに面白いものができあがる。
そしてそのスピードを磨いていけば、コミュニケーションの質を上げることにもつながるだろう。
(コミュニケーションには「受け」の要素もあるので、それだけ磨けばいいというものではないけれど)
難しいことを書いているように見えるけれど、僕が「ネタにするテーマのハードルが下がった」というのは本当に大したことではなくて、くだらない話だと思っても、とりあえずしゃべってみる(書いてみる)と、意外とちょっとの尺にはなるもんだよ、ということだ。
あいにく、しゃべりのほうは上手くない(上手い人めっちゃ尊敬する)のでそちらには説得力の欠片もないが、こと「書く」ということに関していえば、一応こうして毎日続けてきた実績がある。
そんな立場から言わせてもらうと、文章が苦手という人にありがちな「何を書いていいかわからない」という悩みは、「大層なことしか文章にしてはならない」というルールがあると思いこんでいることに一因がある。
そんなわけで、どんな形であれアウトプットしたいけどネタがない人は、ネタにするもののハードルをぐっと下げて、掘り下げて膨らませることに注力してみると一歩進めるかもしれない。