◆レビュー.《ステファヌ・ブリゼ監督『ティエリー・トグルドーの憂鬱』》
※本稿は某SNSに2020年10月23日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。
ステファヌ・ブリゼ監督『ティエリー・トグルドーの憂鬱』観了。
超久しぶりに映画見た。2015年製作のフランス映画。主演のヴァンサン・ランドンは本作で2015年のカンヌ映画祭、2016年フランス・セザール賞で主演男優賞W受賞。フランスで大ヒットしたと言われている社会派ドラマ。
<あらすじ>
主人公のティエリーは51歳のエンジニア。
妻子持ちだが息子は障がい持ちなので服の着替えや風呂など身の回りの事の介護が必要。
だが頭は良くて生物工学の専門学校に進学したいと望んでいるので、その願いをかなえてやりたいのだが、学費だけでなく住宅ローンや自動車のローンなどもあり生活はきつい。
ティエリーはある日、会社の人員削減によって突然解雇されてしまう。
同じく解雇された職場の同僚たちは不当解雇だとして会社を相手取って訴訟をしているが、それと並行して再就職先を見つけるために就活もしなければならない。失業保険もそれほど長くは続かないのだから。
ティエリーは就職活動を始めるが、彼の再就職先はなかなか見つからない。
建設現場へ就くために職安から提案されたクレーン操縦士の研修を受けて免許も取得したのに、たいていの建築会社では建築現場での経験がなければ採用されないという。
採用面接対策の講習を受けてみると、若者から面接態度の悪さを散々指摘されてしまう始末。
ティエリーはやっとのことでスーパーマーケットの警備員の仕事を得る事になる。
監視室から店内に設置してある複数のカメラで客の行動を監視し、店内も巡回して万引きやトラブルを解決するのが彼の仕事だった。警備員の先輩社員は「全てを疑ってかかれ」とティエリーにアドバイスをする。
彼は店内で万引きをした人たちを警備員室まで連れて行く。
スマホの充電コードを万引きしようとした若者は「知人に万引きをしてこいと言われた」と主張し「出来なかったら殴られるんだ。俺が殴られてもお前には関係ないっていうのか」と騒いだ。
生鮮食品を盗もうとした老人は、盗んだ品の料金を払うように命じると「一銭もない。一文無しなんだ」と言って支払いを拒否したので、警察に突き出された。
先輩社員から「疑ってかかれ」と言われたのは、同僚も例外ではないという意味だった。
ティエリーは不正を犯した店員までも警備員室に連れて行く事となる。勿論、不正を働いた同僚は解雇されることとなるのだが……というお話。
<感想>
ギリギリの賃金でやりくりしている51歳のフランス人男性の生活を淡々と、禁欲的なカメラワークで描写していく。
ナレーションが入ればそのままドキュメンタリーのような映像になりそうだ。
だが、これを映画で撮った以上、これら愛想のない演出の数々にはハッキリと意図があるという事になる。
監視カメラで、同僚が客に渡すべきクーポン券を失敬していた事を発見したティエリーはそれを店長に報告する。
警備員室に連れて来られた同僚には、店長が厳しく問い詰め、解雇を言い渡した。
同僚は解雇後、店内で自殺していた。彼女は麻薬中毒の息子のために金に困っていたようだったのだ。
ティエリーは、おそらくこの職場である発見をしたのだ。
会社の都合で解雇され、大変な苦労をして再就職した先でティエリーは、今度は自分が同僚を解雇する立場に回っている事に気が付いたのだ。
彼は自殺した同僚の葬儀ののち、再び職場の同僚の不正を発見してしまう。
警備室に連れて来た同僚は恨みがましそうに「上司に報告するの?」と言う。
報告せずにはおれないだろう。何しろ、それが彼の仕事なのだから。
勿論、ティエリーが悪いのではなく、不正を働く人間が悪いのだ。
だが、彼はあることに気付いてしまったのだろう。
万引きや職場で不正をしているような人間は、多かれ少なかれ自分と同じように生活に困窮している下流社会の人たちだった。
警備員という仕事は、会社の命によって下流の人間が下流の人間を裁いているという仕事だったのだ。――それが、彼に任された警備員と言う仕事の正体だった。
勿論、不正や万引きを行うほうが悪い。
だが、警備員という仕事も、大概だ――ティエリーはきっと、最終的にそういう気分にさせられてしまったのではないだろうか。
原題の「La loi du marche」は「市場の原理」「市場の法則」といった意味があるそうだ。
フランスも格差社会だというが、ティエリーのように真面目に仕事をしている人間でも困窮した生活からなかなか抜け出せない。
では、彼が貧乏なのは彼個人の問題なのか?
彼にどのような落ち度があったのか?
怠けものでもなく、能力の問題でもなく、ただひたむきに仕事に打ち込んでいるだけの素朴な人物であっても普通に生活するのが難しくなってしまうのは、いったい何のせいなのか?……という所まで考えられれば、この監督が何をいいたかったのか何となくわかってくるのではなかろうか。