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◆読書日記.《駕籠真太郎『フラクション』》

※本稿は某SNSに2020年1月31日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。


 駕籠真太郎のミステリ・ホラーマンガ集『フラクション』読みました!

駕籠真太郎『フラクション』

 表題作『フラクション』は、ミステリ仕立ての中編奇譚。

 女性の胴体を輪切りにする連続殺人事件の犯人の視点で話が進む「WAGIRI」と、漫画家・駕籠真太郎が新境地を拓くため漫画のミステリ、それも「漫画による叙述トリックのミステリ」の可能性を編集者と相談する「MANGAKA」の2つのパートからなる中編漫画。

「漫画による叙述トリックのミステリ」というのは可能かどうか。駕籠真太郎は考える。

 通常のミステリのトリックは、事件の犯人が警察を騙すためのもの。

 叙述トリックは、作家が読者を直接騙すためのテクニックを指す。これを漫画独自の方法で出来ないか、というのである。

 小説の叙述トリックはある種、小説技法における読者との「暗黙の了解」を逆手にとって読者を騙すというメタ・フィクション的な方法を取る。

 そう考えれば、漫画についても漫画の技法における読者との「暗黙の了解」を逆手にとれば「漫画版叙述トリック」は可能なのではないか、というのが駕籠の考えというわけだ。

 漫画の「暗黙の了解」というのは、例えば「漫画のコマは客観的なトリミングを行っている」という固定概念を逆手にとり「作者が読者を騙すようなカメラ・アングルのコマ割りをわざと採用する」といった方法で可能になる。

 これは他に作品集『アナモルフォシスの冥獣』でも駕籠が試している方法だ。

 だが、これは実際に漫画で再現するとバカバカしさが引き立つ。
 これは駕籠が確信犯的に「バカミス」にしているふしがあって、その証拠に「フラクション」の末尾に小説家の霞流一との対談が掲載されていて、「バカミス」について話をしている。

 だが真正面からミステリをしようと思うなら、あのオチはいただけなかったな。
 それだったらまだ『アナモルフォシスの冥獣』のほうが、トンデモなバカミスと言えど、明確に非現実的な閾値を越えないというルールは守ったように思える。

 しかし、駕籠真太郎の「新境地を拓こう」というこの高い意欲は評価できる。

 漫☆画太郎といい駕籠真太郎といい、マイナー作家と言っても生き残るのは大変ですな。

 表題作以外の短編について。

『還ってきた男』は乱歩の「芋虫」に似た猟奇譚。
 だが、不思議と駕籠真太郎はホラーを描いても丸尾末広のような「暗さ」が出ず、どこかテーマとちぐはぐな「明るさ」が見える点が興ざめ。

『隔靴掻痒』は、呪みちるテイストの幻覚と現実が入り混じる狂気を描いたホラー。
 この短編を見ても、どうも駕籠真太郎の絵は「演技の迫真性に欠ける」きらいがあると感じる。どこかで作り物めいた感覚が残るのだ。B級ホラーのウソ臭さを漫画でやっている感じ。
 なのに、物語の筋書き自体は本気でやってる感があるので、そのバランスのちぐはぐさが残念だと思ってしまうのだ。

 残る2つの短編『倒壊』と『振動』は、どちらもタイトル通りの「倒壊」と「振動」をモティーフにして描いた夢物語のような非論理的な奇譚。
 にしてはイマイチ狂気が足りない。
 これも駕籠の特徴なのだが、夢のような物語を描いてもつげ義春「必殺するめ固め」みたいな狂気を感じない、どこかこの人の持っている「理知」が残ってしまうのだ。

 ということで『アナモルフォシスの冥獣』と比べてしまうとどの作品もどこかちぐはぐで中途半端な印象が強い。新境地を拓くための試行錯誤の跡なのかもしれない、と好意的に見てみても、ちょっと物足りないものが多すぎたかな。残念。


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