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◆読書日記.《野島博之『謎とき日本近現代史』》

※本稿は某SNSに2020年10月25日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。


 野島博之『謎とき日本近現代史』読了。

野島博之『謎とき日本近現代史』


 著者は駿台予備校講師、東進ハイスクールの講師、学研プライムゼミ特任講師を歴任した日本史が専門の受験講師。
 という事で試験攻略用の歴史知識書なのかな?と思って読んでみたら結構スマートに纏まった良書だった。

 ……という事で詳しい経歴を知りたくなって本書読了後に著者の経歴をググってみたら、なんと驚き! この人の配偶者は日本近現代史の権威であり、日本学術会議の政府の人事介入問題でパージされた事でも記憶に新しい東大の歴史学者、加藤陽子教授だった。何とタイムリー!
 何かの霊感でも働いているのだろうか自分?

 で、本書はそんな著者が日本近現代史に関わる9つのトピックスを「謎」に仕立てて、それを解いていくという形で「WHY?」から歴史観を磨いていこうという趣旨の日本史解説本となっている。

◆◆◆

 本書がこのようなスタンスで書かれているのには著者による、日本の歴史教育に対する疑問が元となっているようだ。

 というのも著者自身が高校時代に歴史の勉強に退屈さを感じていたようで、その原因には「歴史にはひたすら覚えるアタマさえあればいい、としか思えなかった」というものがあったそうだ。

 歴史学というのは結構奥の深いもので、そのことに高校時代の著者は気づいていなかった。その反省点を踏まえているという。

 著者は冒頭で、現代の歴史学習が「暗記がメイン」だといった固定概念が存在している理由をいくつか挙げている。

 その一つとして著者は「その主因は、何といっても教科書にあるといわなくてはなりません」と言っているのである。
 確かに、学校の歴史の教科書というのは、まず読み物として圧倒的につまらない。

 一言「歴史」と言っても、科学史や思想史、技術史、文化史、美術史、戦史、等々様々なジャンルがある中で、何に焦点を当てなければならないのかと言う問題がある。
 その中で現代歴史教育では主に権力史、政治史、経済史、戦史をメインに教えられているが、それだけを切り取ってみても、知るべき情報は膨大だ。

 さらに言えば「知る」だけでは歴史学とはならない。
 何故その事件が起きたのか、何故そのような政治体制になったのか、何故その特権階級が出来たのか、何故そのような経済体制になったのか――という「何故?」という部分は、学者によって様々な捉え方があり、また多角的な視点も必要になってくる。

 例えば、政治の問題というのは周辺諸国との関係性で考えねばならないという国際情勢のバランスを見なければならないし、そういった国際情勢のバランスを考えるには、それぞれの国の成り立ちや文化や考え方の傾向も考慮すべき要素として入ってくる。
 それだけではなく、20世紀に世界はたびたび恐慌が発生していたが、それによって各国のパワーバランスが変化し、また各国の金融政策も変化を与え、経済状況によって治安の問題や民衆の不安や不満、軍事費やインフラなど他へ振り分ける予算の配分の関係による国力の変化、はたまた出生率などにも影響を与えて来る。
 そういった政治、経済、国際情勢、文化、軍事、様々な要素を考慮に入れて歴史的事象を分析しなければならないという視点が必要なのが歴史学の難しい所とも言えるだろう。

 ぼくは最近、知人の呟きへのコメントとして「すべての学問は緩やかに連動しています」と発言した事があった。
 歴史というものを考えた場合でも、上述したようにあらゆる事象が要因として関係してくるのである。

 そういった内容までも踏まえて教えるためには時間も足りなければ、それらを全て一冊の教科書に詰め込むなどという事も不可能なのだ。

 著者も「このため教科書は、複雑な出来事を深くほりさげた多角的な解説や、歴史の陰影をくっきりと伝えるような豊かな叙述を欠いています」といったように歴史教科書の欠点を指摘している。

 だからこそ、中学~高校の歴史教育はコンパクトに日本史を古代から現代まで一冊(あるいは数冊)の教科書、数年のカリキュラムにまとめるために、重要な「なぜ」がしばしば失われるのである。

 事実、歴史科目の受験対策も暗記問題が中心となってしまっている。本来であれば「流れ」が重要となる問題であっても「この時代に●●というキーワードが出て来るという事は答えは『〇〇条約』だ」等と、単なるクイズのような対策となってしまっている。
 そんな無味乾燥な暗記の勉強をやっていて楽しいわけがない。

 本当に個人の「歴史学のセンス」を試すには、ある程度の分量の論述試験やレポート課題などを課す必要があるので、そういった問題は受験問題としては採用できない。
 集団的な試験のためには、論文試験やレポートが切り捨てられ、ますます「歴史とは暗記の問題だ」という大きな誤解を与える原因となってしまった。

 著者は「はじめに」で、高校時代の事をふり返って「あのころ、主要な学習科目のなかで数学のできる友達は、とても尊敬されていたような気がします」と述懐している。

 たしかに高校時代に「ぼくは歴史ができるぜ」と言っても、自慢っぽく聞こえない(笑)。せいぜい「記憶力がいい」程度、悪くて「ネクラな歴史オタク」にしか思われなかっただろう。

 確かにぼくも学校の歴史授業などで「こういう時期にこういう出来事があった」という事を学んだのは覚えているが、「どうしてそれが起こったのか」という事についてはほとんど覚えていない。という事は本書を読んでいて気づかされた事でもあった。その「どうして」が重要な部分であったにも関わらず。

 ぼくは歴史小説なんかを読むのは嫌いじゃないほうだったが、学校の歴史授業については早々と勉強するのが馬鹿らしくなった覚えがある。

 何しろ歴史的事件が起こったのが西暦何年だったのかといった「数字」を暗記したり、国際機関のアルファベット三文字を暗記せねばならなかったり、大恐慌が起こった頃の首相の名前を覚えねばならないなんて――そんなことに何の意味があるのか?
 そんなものはその都度教科書や百科事典を引き直せばいいだけの話ではないか。
 そんなものは、歴史の本質とはあまり関係ないし、全く情緒にも欠けているじゃないか――。
 と言ったわけで確かに著者の指摘するように、高校時代のぼくさえも「歴史は暗記の問題」だという固定概念があったようだ。

 歴史が教訓化されるためには「何故そのような事が起こったのか?」という様々な要因をどう捉えるかという視点が必要となるし、「そのような事が起こった経緯は何なのか?」という流れを把握するのも重要となってくるし、「それを証明する資料をどう確保して、それをどう扱うか?」というのも考えねばならない。

 歴史教育はそういった様々な「なぜ」を考えず、それをどう捉えるのか、という考え方の方法さえも教えず、個々の要素をバラバラに伝えるので「統一感」に欠けてしまうのだ。

 なるほど、歴史修正主義者たちに付け込まれる事となる要因と言うのはこういう所にもあったのか、とも思う。

◆◆◆

 さて、本書はそういった現代日本の歴史教育の不備を指摘し「「なぜ」を考えることが「歴史」の面白み」だと主張している著者による、日本近現代史における9つの「なぜ」を提示して考える歴史解説本となっている。

 いちおう、この9つの「なぜ」を以下、列挙しておこう。

 1、日本はなぜ植民地にならなかったか
 2、武士はなぜみずからの特権を放棄したか
 3、明治憲法下の内閣はなぜ短命だったか
 4、戦前の政党はなぜ急成長し転落したか
 5、日本はなぜワシントン体制をうけいれたか
 6、井上財政はなぜ「失敗」したか
 7、関東軍はなぜ暴走したか
 8、天皇はなぜ戦犯にならなかったか
 9、高度経済成長はなぜ持続したか。

 ……この9つの「なぜ」を本書では解説していくこととなる。

 この問題設定の仕方を見ただけでも、自分の歴史知識の浅さを痛感してしまう。なぜこの9つの疑問点が歴史的に重要なのか、という事さえも本書を読むまでわからなかったのだ。

 この中でも、例えばぼくの最近の疑問点だった部分に多少触れていて、蒙を啓かされたと思ったのは第二の問い「武士はなぜみずからの特権を放棄したか」であった。
 この点の本書の解説は江戸から明治へ移り変わる際の大転換の謎の一端を説明していて優れている。

 江戸時代の支配階級であった武士は、何故明治に入って自らの特権をいさぎよく放棄したのか?

 明治政府を主導したのは薩長土肥の武士たちだった。
 彼らは明治に入ってから士農工商の身分制度を解体して四民平等へと身分制を移行させた。

 当然、士族の様々な特権も放棄させられたのだ。それにしては、江戸~明治期での特権法規への士族の反発は、さほど目立ったものはなかった。
 大きな抵抗は西南戦争くらいで、その他は小規模の単発的な物が多く、意外とすんなりと武士階級の人々は士族特権を放棄していった。

 西洋の歴史家からはその点は非常に疑問だったらしく、本書でもT・C・スミスの意見等を紹介している。
「ヨーロッパ諸国の貴族制とは決定的な点で異なっているとはいえ、日本の武士階級は封建貴族の一つであるが、単にその特権を放棄したのではなかった。それは自分で諸特権を廃止したのである」という奇妙な特徴を述べている。

 本書で紹介されているアレクシ・ド・トクヴィルの意見も見てみれば、武士が自ら諸特権を放棄した事の不思議さがより際立ってくる。
「貴族制は長い闘争なしに、その特権を放棄することはめったにない。その過程では、社会の階級間で和解しがたい敵意の炎が燃えている」と表現しているのだ。

 同じ封建貴族とはいっても、西洋の貴族と日本の武士というのものは、かなり事情が違っていたのである。では、どういう事情が違っていたのか?

 ……という、この問題の解答について気になる方は、本書を実際に読んでみたほうが早かろう。
 何しろ「理由は〇〇だから」等と単純化できるようなものでもなく、複数の要因が絡まり合って成立している事であり、それまで積み上げられてきた武士階級の事情が関係しており「流れ」を無視して説明はできないからだ。

 そういった複数の要因や、多角的な理由や捉え方が成立するという事情は何もこの「第二の問い」だけの事ではなく、本書に挙がっている9つの「なぜ」には全てこういった多角的な視点が必要である事が本書を読めば理解できてくるだろう。
 そういった「歴史はどう学ぶのか?」という視点を獲得するという事も当然、本書の目的の一つとなっているのである。

 本書をぼくは、中学~高校で学びそこなってしまった歴史をもう一度学びなおす目的で読み始めたのだが、予想以上に面白い内容であり、また気付かされる事も多くてなかなかためになった。

 しかし、本書は分量の都合もあるのだろう、各章の説明がわりと速足気味で、読み易くはあるのだが、情報量的には「もう少し詳しく説明してもらいたい!」という微妙な物足りなさも感じさせるようなスタイルだったのが惜しい所であった。

 まあ、この物足りなさのストレスをもっと詳しい歴史書を当たる事で解消してほしいという著者の狙いもあったのだろう。


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