ぎりぎりz世代の僕が思う学校健診って
学校健診って、
かつての自分にとってどんな時間だっただろうか思いを馳せてみる
学校で、身長、体重、心電図、レントゲン、視力、聴力、・・・を測定する機会が学校健診だと認識している。
そこでは、「自分の体を数値や画像データをもとに知ることができる」のである。
特に、そこでの関心は、「異常がないか」ではないか。
ちょっとした体の悩みや心配事の相談を元気なうちにできる場でもあったが、
健康かどうか(虐待をされていないか)、どこか異常があるかないかを知る機会だった思う。
ちなみに学校保健安全法によると「健康診断」について
とされており、また学校教育法によると「学校」とは、
とされている。
つまり幼稚園から大学まで毎年、健康診断を受け続ける人が多いのだろう。
自分の場合、大学2年以降は任意だったため、学校健診は受けに行かなかった。
その時、「強制されてきたものからの解放感」に近いものを感じた。
なぜそう思ったのだろう?
「健診なんてめんどくさいし、、むしろ異常なんて知りたくないし、、今なんともないからいいじゃん、、、」
つまるところ「若いから(そんなめんどくさいこと毎年やらなくて)大丈夫でしょ」というノリでした。
今、26歳になりアラサーが見えてきているなか、
学校健診を振り返ると、
「若い時に、自分の体と向き合う数少ない機会だったのかもしれないなあ」
「作業的に言われるがまま受けてきたなあ」
そもそも学校健診の目的は、
学校における児童生徒および職員の健康の保持増進を図るために法律で定められた健康診断であるとされています。
もしかすると健康という状態の保持・増進に焦点が当たり過ぎているところに、違和感を感じ、学校から強制されたものとして捉えるようになって行ったのかもしれません。
自分達は、健康になるために生きているのではなく、
健康でいられるから「〇〇ができる」、「〇〇がやりたい」というように、
「」にあたるようなふんわりとした方に着目してもいいのではないかと考えています。
学校保健安全法が
「健康な状態が大事です!」「しっかり健康診断受けましょう!!」
ならば、
自分は
「まあ、たしかに、、大事か、。(でも若いし元気だし、めんどくさいな)」
というスタンスでした。
つまり健康の保持・増進に対してかなりの受動的でした。
そこで、、、
やりたいことができる能力がある→だから健康なんだ
と健康の概念そのものを再定義してみると、
学校健診は「やりたいことをやれる能力の保持増進」が目的になるでしょう。
そんな健康観、ポジティヴヘルス
ポジティヴヘルスとは
を指し、
とすると、
学校健診とは、
身長、体重、心電図、レントゲン、視力、聴力、・・・の異常があるかないかを測る機会でなく、
これら総合的に、今の自分の状態を認識し、対話を通して、本人主導で生き抜く力を養うプロセスとして学校健診を考えてみるとどうでしょう。
そんな学校健診を受ける生徒のみんなは健診の時間をどう感じているのだろうか?
逆に自分の体をどう認識するようになるんだろう?
そんなことを考えながら軽井沢にある風越学園の学校健診へ足を運んできます!!
https://kazakoshi.ed.jp/kazenote/now/6080/