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書き殴ることに、意味がある

勉強は、手書きじゃないと身につかない派だ。

今年に入って「学びたい!」と思うようになった。
在宅ライター7年目にして、初めての感情かもしれない。
遅い。
いや、まだ間に合うはず。

ということで、あれやこれや、学んでみた。

・小説・物語の作り方講座
・エッセイ講座
・シナリオスクール
・YouTube企画講座

現在進行形で学んでいるものも、すでに受講を終えたものもあるが、どれも楽しい。
対面の講座も、オンラインの講座もあるのだが、私はどの講座も必ずノートとペンを用意して臨んでいる。
書く=学びが深まると、個人的には感じている。

ちなみに、書くことに重きを置いているため、字は汚いし、ものすごく乱暴に書く。
書くというか、正しくは書き殴るだ。
自分の手で、ガツガツ刻むことにこそ、意味があると思っている。

オンライン講座で、アーカイブ視聴できるものもあるのだが、とにかく書く。
書く。
講座の内容に直接関係ない無駄話だって、「書きたい」と思えば書く。
疑問点も、調べたいことも、思いついたアイデアも、ガンガン書き足す。
ちなみに、見直すことは少ない。
見直さないわけではないけれど。

私にとっては、見直すことよりも手を動かすことそのものに意味がある気がしている。
書くことで、話に集中する。
書きもらすまいと、全神経を張り巡らせる。
書き留めたいことがあったら、瞬時にペンを走らせる。
この一連の行為が、結果として、色濃く記憶することに繋がっているのだ。

ノートそのものを見直すことは少ない。
でも、ゼロではない。
いざ見直す時「もっときれいに書いておけばよかった」と思うことはある。
ただ、それでも力いっぱい書き殴った痕跡から、記憶が蘇ってくることは多い。
講師の話を聞きながら、「ここが大事だ」「ここは要約して書こう」と思った気持ちが、蘇ってくる。
残念ながら思い出すことができない場合もあるけれど、それでも、記憶をたどるとその時の光景が蘇ってくる。
「書くこと」で、しっかり刻まれているのだ。

物理的には、ペンでノートに書き殴っているのだけど。
きっと、脳内ではその光景そのものを「書き殴る」という行為と合わせて、記憶しているのだろうと思う。

これはきっと、自分の手で書いていないと得られない感覚だ。
見直すことは稀だ。
でも、書くことには意味がある。

さらに、手書きにはもう一ついいことがある。
手書きは、形に残る。
私は形から入るタイプなので、ペンとノートを携えてオンライン講座に臨むとき「やるぞ!!」と、気分が上がる。
たまにノートを見返すと「これだけ頑張ったんだ」と、今までやって来たことの重みが物理的に見える。
書けば書くほど、記憶に残り、モチベーションも上がる。
だから、手書きが好きだ。

いま、オンライン講座用のノートが2冊ある。
ノートをめくると、努力の跡が見える。
「ちゃんとモノにしたい」と、さらに気持ちが引き締まる。

あと半年ぐらいは、ノートもペンもたくさん消費するだろう。
そして消費した分、私の脳みそには確実に色濃く「シワ」が刻まれるはずだ。

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