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「生みの苦しみ」に負けた日

創作は、時に苦しいものだ。
いとも簡単にアイデアが降ってくるときもあれば、30分、1時間考えても、なんにもはかどらない時もある。
今、ちょうどそんな状態だ。
生みの苦しみの真っただ中にある。

今日のnoteはなかなかの難産だ。
書きたいものはあるけど、タイトルが決まらない。
「わかる」と「できる」には、雲泥の差があるってことを言いたいのだけど、それこそ書きたいことがあるのに、どう表現したらいいものかわからない。
「わかる」のに「できない」状態。
私の頭の中にあるアイデアを、何度も書いては消して、書いては消して。
結局、形にすることは叶わなかった。
あぁ、悔しい!!

ひとしきりそんな葛藤を繰り返して、やや燃え尽きたところで、ふと思った。
これは、私の負けだ。
生みの苦しみに、敗れたのだ。
ただ、今日の生みの苦しみは無駄ではない。

苦しんだ末に「何も残らなかった……」ということは、よくある。
苦しんで苦しんで、結局何も生まないっていう。
これが一番しんどい。
こういう時は、だいたいなにか材料が足りていない。
思考が足りないのか、知識が足りないのか、技術が足りないのか、とにかくなにかピースが足りなくて、実を結ばない。

ちゃんと実を結ぶ「生みの苦しみ」は、きっと大半の材料がそろっている。
つまり、あと一歩のところまでは来ている。
大概、そもそもの技術が足りなくて、苦しむことになる。
やりたいことはあるのに、思い通りにいかない。
だから、理想と現実のはざまで四苦八苦する。
くぅううううう。
こういうのは、そのうち乗り越えることができる。はず。

結果として、今日は「書きたかったものが書けていない」のだが、考えて考えて、「こっちを書いておくか」というものが見つかった。
これは、きっと悪いことじゃない。
あと一歩だったんだと、思いたい。

そもそも、生みの苦しみなんか味わうこと無く、すんなり書ける時もある。
さんざん四苦八苦して苦しんだ割に、今日のように思い通りにいかない日もある。
骨折り損のくたびれ儲けである。
ただ、私としては「思う存分に戦った」ある種の満足感はある。
なにも書けてはいないけど。

生みの苦しみとの勝負は、だいたい五分五分だ。
苦しんだ末に勝つ時もあるし、今日のように負ける時もある。
書きたい理想と、書けるものの現実が、切磋琢磨しているってことなのかもしれない。
たまに現実が理想に追いついて、でもすぐにまた逆転する。
負けは負けだが、無駄ではない。
まだまだ試行錯誤したい。

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