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いま、目指しているもの

高校生の時、ひょんなことから演劇部に入部することになった。
私は、どちらかというと内向的な人間で、それまで「舞台に立つ」みたいなこととは全く縁がなかった。
どう見ても裏方人生まっしぐらだったのに、なんでいきなり演劇だったのか。

きっかけは、担任の先生が演劇部の顧問だったことだ。
担任の先生は国語教師であり、演劇部の顧問だった。
なかなかユーモラスなおじさん先生で、授業は面白かった。
当時、高校に入学したての1年生の6月ごろ。
部活の仮入部とかが一通り終わって、私はひとまず「帰宅部でいいや」と、どこにも所属していなかった。
たまたま仲良くなった友達は演劇部に入っていたが、私には縁がないと思った。

そんなある日。
国語の授業中、出席番号か何かで先生に当てられて、教科書を読んだ。
内容はよく覚えていないけど、なにかの説明文だった。
国語の授業の中でも、説明文は最もおもしろみに欠ける。
つまらぬ。
そう思いながらも、間違えないよう丁寧に読んだ。

何を隠そう、私は授業を人一倍真面目にこなしたいタイプだ。
そう、授業態度で点数稼ぎたいマンとは私のこと。
だからちゃんと発言もするし、教科書もお手本通りしっかり読み上げる。
授業態度だけなら模範生、ただし勉強は嫌い。
宿題はやらない。
どんな模範生や。

その時も、我ながら超丁寧に読んだ。
で、授業が普通に終わった。
ところが、授業終わりに「織山さん、あとで職員室来てくれる」と、先生から名指しされた。
「は!?」である。

寝耳にミミズとか、寝耳にミミズクぐらい「は!?」であるよ。
友達にも「なになに!?」「なんかやった!?」と、めちゃめちゃ騒がれた。
ごめん、私マジガチのド陰キャで、見た目からして「あ、あなたクソ真面目ね」ってタイプだったので、どう見ても先生に呼び出されるタイプではない。
助けて。
何かの間違いであってほしい。

そう思いつつ、恐る恐る人生初・職員室呼び出しの任をこなすべく、職員室へ行った。
ドアをノックするときから、すでに明らかにビビりマックスの私を、先生は朗らかに迎えてくれた。
先生は、だいたいいつもニコニコしている。
その日も、ニコニコしていた。
傍らの私は、ビクビクしていた。

「いやー、ごめんね。あのさ、1個ちょっと聞きたくて。あ、どうぞ座って」と、空いているイスを勧められた。
内心「おう、座ってみっちり話すって何事やねん」と思いつつ、言われるがまま従う私。
そして、先生は相変わらずニコニコこう言った。

「実はさー、演劇部の新入部員が今年あんまりいなくて。織山さん、入らない?」
は?

「うちのクラスの、Sさんも演劇部なんだよ。ほら、斜め前の席の。けっこう、仲いいでしょ?」
あ、は、はい。それは知ってます。
え?でも、なぜ急に?

「さっきの授業で、教科書読んでくれたのが、上手かったからさー。けっこう、向いてるんじゃないかと思って。どう?」
はいー!?
国語の教科書読んで、演劇部にスカウトされるなんて…そんなことあるんですかっ!?

ということで、どうやら国語の教科書をちゃんと読み上げたその読み上げスキルを評価されて、演劇部にスカウトされたらしかった。
で、先生に推されたことと、たまたま仲の良かった子が演劇部だったこともあり、仮入部することになり。
その流れで、まんまと本入部してしまう。
おう、私ちょろいな。

一度入部してしまえば、根は真面目気質なもので、とにかく休まず部活に出た。
たぶん、ほぼ皆勤賞で3年間過ごしている。
元々、内向的なくせに声はデカいほうだし、やるとなれば負けず嫌いなので、「やるからには上手くなりたい」と思って、発声練習もガチった。
初めは恥ずかしくて死にそうになったエチュードも、先輩が楽しく盛り上げてくれたので、なんだかんだゲーム感覚で楽しめるようになった。

夏休みも、ほぼ毎日部活に明け暮れた。
で、気が付いたら役をもらって、舞台に立つことになっていた。
アメイジング。

「やる」ってなったら、恥はかきたくない。
真面目にけいこして、誰よりも早くセリフを覚えて、ひたすら反復練習をした。
先輩たちは3年生が多かったので、進路やバイトでいないこともあったが、そういう時の立ちげいこで代役が必要な時、進んで自ら代役に名乗りを上げた。
いつしか、演じるのがめちゃめちゃ楽しくなっていた。

そして、1年生の2学期に、高校生の演劇大会で初舞台を踏んだ。
その後、文化祭でも同じ劇を披露した。
2回の舞台経験をして「やったー」と、達成感でほわほわしていたら、すごいことに演劇大会の地区大会を勝ち抜いて、県大会に出場することになってしまった。
ちなみにこれ、我が校の演劇部創部以来、たしか初めてだったんじゃなかろうか。

で、結局、県大会の大舞台も経験。
演劇部に入る気も無かったド陰キャの私が、気づけば演劇の虜になっていた。

しかし、演劇が楽しかったのは、1年生の時がピークだった。
3年生の先輩が抜けた後は、2年生が一人もいなかったので、いきなり私たち1年だけで活動することになった。
途端に、部内がバラバラになってしまい、翌年は大会を欠場。
毎年必ず行っていた文化祭での発表の場も、お預けとなってしまった。

3年生になって、ようやく大会に出ることができたが、そこまでだった。
「出場できただけで、満足」その思いを胸に部活を卒業し、高卒で就職。
そのまま、演劇とは無縁の人生を送っていた。

演劇部の仲間の中には、そのまま演劇の道にどっぷりはまり込み、大学でも演劇を続けたり、劇団に入って演劇の道を進み続ける人もいた。
そんな仲間の姿を「すごいなぁ」と、まぶしく見つめていたが、卒業して年月が経つと、やがて仲間からの連絡も来なくなり、すっかり交流も途絶えた。

私は結婚し、出産を機に会社を辞めて、育児に専念。
高校時代に心血を注いだ演劇のことは、すっかり忘れ去っていた。

しかし、30代半ばになって、在宅ライターの仕事を始めて、急に再会する。
それが「シナリオライター」という仕事だ。

高校演劇をやっていた当時、私たちはオリジナル脚本を書いて、自分たちで演じていた。
ただし、私は脚本を書いたことが無くて、書いていたのは先輩、顧問の先生、それに感化された友人たちだった。
2年生の時、友人が書き上げた脚本があった。
その脚本を書きあげるまでには、私もだいぶ意見を出したりしたが、それは結局お蔵入りになったので、演目として披露していない。

ただ、どういうわけか、ライターとして「シナリオ」と出会った。
シナリオと出会ったからと言って、演劇部のことを思い出しもしなかったし、やり始めたのは「YouTube」のシナリオだったので、舞台演劇とはまた勝手が違う。
ところが、シナリオの仕事は私に合っていて、とても楽しく進めることができた。
私はシナリオに夢中になり、気づけば「シナリオライター」を名乗るようになっていた。

高校生の頃クソ真面目だった私は、就職に際しても「無難な職に就きたい」と、派手さは求めず安定の事務職を選択。
夏休み明けギリギリぐらいに内定をもらって、安定の事務職に就き、会社員になることができた。
父も母も会社員で、安定した生活を送っていたので、よっぽどのことがなければずっと会社員で居たいと思っていた。
結婚、出産したらわからないけど…なるべく働き続けたい。
そう思っていたのに、なぜか気づいたらフリーランスになっていた。

なぜか、気づいたらフリーランス。
そして、なぜか気づいたらシナリオライターである。
高校生の時、演劇部だったっていうことの伏線回収を今するの??
本当に、信じがたい。

さらに信じられないことに、先月から通信でシナリオスクールに通い始めた。
いま、私は「シナリオライター」と名乗ってはいるものの、手掛けている案件はYouTubeがメインだ。
肩書は「シナリオライター」と言っているけど、それはアマチュアということのようだ。
ライター界隈では、デビューしていないとプロじゃないというのが共通認識としてある。
つまり、現時点で6年くらいシナリオをずっと書いているけど、私はプロじゃない。
悔しい。
だから、プロを目指している。

高校の時、担任の先生に演劇部へスカウトされただけの私が、シナリオライターを名乗っているだなんて。
しかも、生意気にプロを目指そうとしているなんて。
当時の仲間たちは、誰も知らない。

残念ながら、連絡先もまったくわからない。
でも、ここでひっそりとつぶやいておきたい。

演劇部のみんな。
実は私、いまシナリオを書く仕事をしているんだ。
それがとても楽しいんだ。
だから、プロを目指したいんだ。
もし、夢が叶ったら、必ず連絡するから。
昔のアルバム引っ張り出して、何とか誰かしらには絶対に伝えるから。
だから、待っていてね。
そんな日を夢見て、頑張っているよ。

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