『ますをらぶり?』第九回──女子高生、実朝を読む。

前回分は上のリンクからお読み頂けます。

 ユズコのいない間に少し、話を実朝の方に戻さうか。とユイが中身のなくなつたカップを両手に持つて云つた。
「この小説の実朝は神様とか仏様のことをすごい大事にしてるよね。あと天皇の命令は必ず聞くやうに部下に命じる風に書いてる。」
 ユイが云ふのを聞いて、彼女の目に注がれてゐたアオイの視線は自然に文庫本の方へ向いた。
「かういふ風な実朝像もやつぱり太宰の思惑があつてのことだと思ふけど、だう思ふ?」
「戦争中に発表する小説の題材に実朝を使つた理由の一つはそこにあるやうな気がするんだよね。當時の日本では「天皇万歳」と云つて出征する人が幾人もゐて、その家族は出征した人の安全を願つて神仏に祈る。天皇と神様、仏様を重視した武士を神々しく描いた小説は、戦争を遂行してゐる政府としても受け入れ易かつたんぢやないかな。」


 ポテトとドリンクのカップを載せたプレートを持つたユズコがしばらくして戻つて来た。その後ろをユズコの動きに従ふやうに続く人影があつた。
「さつきレジに並んでたらミナコ先生がゐたから連れて来たよ!」
「え! ミナコ先生?」
 確かにユズコの後ろにはベーコンレタスバーガーセットを載せたプレートを持つミナコ先生がゐた。
「だうして先生がここに?」アオイが云ふと、その方をミナコ先生が困つた表情で見つめる。
「行つたことのないマックだから寄つてみやうと思つたんだけど、ユズコちやんに見つかつてしまつて……。」
「ほら先生が困つてるぢやん。プライベートを侵害するのは良くないよ。」ユイは真面目にユズコを叱り始めた。ミナコ先生は高校生たちの日曜日のアクティビティが険悪になつて、その険悪さが学校内にも広まるのを懸念して取り繕うやうに叱るユイを制止する。
「ところで、あなたたちはこんな所で何をしてゐるの?」
「読書会ですよ、先生!」ユズコが自慢気に云つた。
「読書会? どんな本を読んでゐるの?」
「今日は太宰治の『右大臣実朝』を取り扱つてゐて、さつきまで実朝の話をしてゐました。」ミナコ先生に見へるやうにアオイは書店で巻かれたカバーを外して、文庫本を見せた。
「へえ、実朝。ますらをぶりの。」
「ますをらぶり? なんですかそれ? サザエさん?」ミナコ先生の話を聞いて、ユズコが問ふとみんな一瞬キヨトンとしてしまつた。
「えつと、あ、マスオさんぢやなくて【ますらをぶり】だよ。ふふふ。」テーブルの周りにゐた三人はユズコの云つたことの意味が少し遅れて分かつて、遅れて笑ひ出した。「ますをらぶり」と云つたユズコだけが、未だ笑ひの意味が分からずにキヨトンとしてゐた。
「【ますらをぶり】つて云ふのは「益荒男振り」と書くの。男性的で大らかな歌風のこと云ふの。」ミナコ先生は目尻に凝つた涙を指で払つて云つた。
「あ、さういふ意味なんですね。さういへば、昨日そのマスラヲブリ? みたいな実朝の歌を見ましたよ。」
 ユズコはさう云ふとスマホを取り出して、昨日検索したページを開いた。
「えつと……これこれ、もののふの 矢並つくろふ 籠手の上に 霰たばしる 那須の篠原 つてやつなんだけど、意味を調べたりしたら、武士らしい感じがして良いなつて思つた。」
「ああ、有名な和歌だよね。ますらをぶりな歌だとこれもさうかも。」ユズコの云ふ和歌に触発されて、アオイも鞄から新潮日本古典集成の『金槐和歌集』を取り出した。

大海(おほうみ)の 磯もとどろに 寄する波 
          われて くだけて さけて ちるかも

「この歌。打ち寄せる波をダイナミックに、そして自然に描写してゐて良いよね。」アオイは本を閉じて顔を上げた。気がつくとミナコ先生もアオイたちのテーブルに座つてゐて、迷惑だらうに付き合つてくれて良い先生だな、と思つた。

次回が最終回です。
下記リンクで読めます。よろしくお願いします! 織沢


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