『ますをらぶり』最終回──女子高生、実朝を読む。

前回分は上のリンクからお読み頂けます。

「ユイちやんは何か好きな歌はあつた? 何か調べてる前提で聞いてゴメンだけど。」
「いや、一応少し調べたりしたから大丈夫。あたしは、そうだな……。

 萩の花 暮々までも ありけるが 月出でて見るに なきがはかなさ

 と云ふ歌が好きかな。萩の花が日暮れまではあつたのに、月が出た後に見るとなくなつている。さういふ何でもないやうでもあることが儚いと云ふ実朝の気持ちが、この『右大臣実朝』を読んでゐると感じられて、好きかな。」
 和歌を頼りにして、実朝と云ふ人物の儚さを感じるアオイたち。それは実朝の和歌が分り易いと云ふことなのであらうか。
「さつき【ますらをぶり】と云ふことをミナコ先生が云つていたけど、だうなんでせう? 実朝の和歌の魅力つて大らかな歌風にあるんですかね?」とアオイはミナコ先生に問ふた。
 ミナコ先生は高校生たちが楽しく話してゐるのを聞きながらベーコンレタスバーガーに齧りついてゐたから、いきなり問はれて驚いた様子だつた。
「さうね……。私は古文の先生ぢやないから詳しいことは分らないけれど、実朝の和歌つて古歌からの影響があるでせう? たぶん、その『金槐和歌集』と云ふハードカバーの本に注が付いてゐると思ふけど。」
 親指から薬指までバーガーで塞がつた手を少し動かして、丸つこい印象の小指でアオイの新潮日本古典集成を指して云ふ。アオイは本を開いて、先程自分が引用した和歌の頁の注を見た。
「さつき私が引用した和歌は、

岩頭に砕け散る大波の勇壮さを見事に捉えた歌。

「何か私が真似した感想を云つたみたいで恥しいな……。

ただしその背後には、波とともに砕け散ることに快感を覚えるような虚無・孤独の影が漂っていよう。

「さつきユズちやんが云つてゐた和歌は、

実朝は那須を訪れたことがなく、机上の作。かねてから伝聞していた建久四年(一一九三)の父頼朝の那須での狩を想起し、また「わが袖に霰たばしる巻き隠し消たずてあらむ妹が見むため」(『万葉集』巻十、柿本人麻呂歌集)を念頭に置きつつ詠んだものか。

 だつて。」
「那須に行つたことないの!?」とユズコがまた素頓狂な声を出した。
「さうみたいだね。たぶん「おほうみの──」の歌に出て来る海は見たことあるだらうけど……鎌倉に住んでる譯だしね。」
 ユズコとアオイが意外さうな顔をしてゐるのを見たミナコ先生は何か初めて彼女たちを高校生と認識したやうな気になつた。
「実朝の歌は確かに京都の歌人にはない野性味があると思ふけど、その和歌の言葉は古歌から来てゐる。古歌を頼りに和歌の題材になるやうな風景を探し、作歌してゐたんぢやないかな。想像だけどね。」長々と講釋を垂てゐる恥しさを紛らすやうに微笑んだミナコ先生は再びベーコンレタスバーガーに齧りついた。
「流石、先生だわ……。」とユズコが呟いて、アオイとユイも黙つて頷いた。


 おかわりしたポテトもドリンクもなくなつて、そろそろ読書会も終りだらうと云ふ雰囲気になつて、アオイはユイとユズコを見回した。
「ぢやあ、最後に終り方をだう思つた? 暗殺される運命はたぶんみんな知つてゐたと思ふけど。」
「最後が引用で終るとは思はなかつたな。引用を飛ばして読んでたけど、最後は流石にちやんと読まなきやいけない感じだつたね。」とユズコは後頭を掻きながら恥しさうに云つた。
「あと実朝が「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。」とか「何事モ十年デス。アトハ、余生ト言ツテヨイ。」とか云つてゐるのがどんどん現実になつて行くのが切なかつた。神々しく描く従者はゐるけど、絶対的に孤独な人だつたんだらうな、と思ふと尚更。」さう云ふとユズコは本を閉じてユイを見つめた。
「最後の方で公暁と云ふ実朝の甥が出て来るでせう? その公暁が実朝を暗殺する譯だけど、その公暁が都会と田舎の隔りみたいなことを云つてゐて、それが実は実朝暗殺の理由なんだつて書きぶりぢやない。そこが面白かつたな。」アオイとユズコと目を見交わしながら、ユイは顎に手を當てて云つた。
「そこは太宰治の問題意識の反映なのかなと思つた。太宰も青森の名士の家で育つた田舎者で、東京に出て来て作家を目指す譯ぢやない。田舎者は幾ら頑張つても都会人にはなれないと云ふ達観を実朝に託したのかなつて。」
 さういふことなのかも知れない。とユズコもユイも云つて散会と云ふことになつた。
 別れ際、ユズコは「次は何の読書会やる?」と云つて笑つてゐた。

   

作中に引用した和歌の現代語譯と解説は、三木麻子著『コレクション日本歌人選 源実朝』と樋口芳麻呂校注『新潮日本古典集成 金槐和歌集』を引用、参考にしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?