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《全文無料》【マリーンズ略史 92~05/-20- なぜ18連敗を喫したのか?】

(写真 新記録17連敗を伝える1998年7月8日付日刊スポーツ)


(20)なぜ18連敗を喫したのか?

 今回は1992年から2005年のマリーンズの歴史を振り返る時、避けて通れない18連敗を振り返ってみたい。

 まず、改めてNPBの連敗記録を振り返ってみたい。
1位 18連敗 ロッテ(1998)※日本記録、パ記録
2位 16連敗 ヤクルト(1970)※セ記録
3位 15連敗 中部日本(1946)※1リーグ時代
〃  15連敗 南海(1969)
5位 14連敗 大洋(1955)
〃  14連敗 日本ハム(1984)
〃  14連敗 横浜(2008)
8位 13連敗 広島(1999)
〃  13連敗 西武(2015)
〃  13連敗 巨人(2017)
 1950年の2リーグ制以降、現在2023年まで73年が経過しているが、13連敗以上を記録したのは9度しかない。つまり、13連敗さえ、8年に一度しかない珍しい記録なのである。裏を返せば、多くの場合は10連敗を超えたところでストップしているのである。
 前年1997年は最下位に終わったものの、1998年シーズンはチーム力が劣っていたのかというと決してそうではなかった。95年に3割を記録し4番として牽引したフランコが3年ぶりに復帰。前年チーム打撃3冠のキャリオン、堀、初芝、新人王を獲得した機動力の小坂と打線に厚みを増した。投手陣は最優秀防御率の小宮山に黒木が12勝して一本立ち。抑えには河本が控え、リリーフ陣も充実しつつあった。実際に1998シーズンは、チーム防御率は3.70でリーグ2位、チーム打率は.271でリーグ1位だったのだ。
 今回は18連敗の記録を追いつつ、当時の背景や選手のコメントを踏まえて振り返っていく。

【悪くなかったチーム状況】

 6月12日まで借金生活で5位だったものの借金は2。オリックスが最下位を走り、残り5球団が5.0ゲーム差の中でダンゴ状態。上位の背中が見える位置にいた。
【6月12日現在のパ・リーグ】
チーム 試合 勝 敗 分 勝率 差
日本ハム 50  29 21  0 .580 -
ダイエー 49  28 21  0 .571 0.5
近 鉄  48  25 23  0 .521 3.0
西 武  47  23 24  0 .504 4.5
ロッテ  48  23 25  0 .500 5.0
オリクス 48  17 31  0 .374 11.0
 投手陣は開幕投手を務めた小宮山が5勝3敗、防御率2.64と好調。黒木も防御率は4.06ながら6勝3敗とチームの勝ち頭だった。この2人に続く投手が心配されていたが、新外国人のクロフォードが4勝4敗、防御率3.03、これに武藤、薮田でローテを回していた。リリーフ陣では抑えの河本につなぐまで吉田、園川のベテランに加え、ルーキーの藤田がフル回転していた。
 打線も好調で4番に座ったフランコが.324/10本塁打、2年目のキャリオンが.314/6本塁打、初芝が.296/11本塁打、3番に抜擢された福浦が3割超えと軸が出来ていた。

 ただ、チームは開幕直後から不安を抱えていた。抑えの河本が開幕戦に1点リードの場面で登板も同点に追いつかれて降板した。左肩に違和感を覚え、登録抹消されていた。その後、吉田、新外国人デービソン、ルーキー藤田ら中継ぎ陣を交代で抑え役に回していたが、抑えを固定できていなかった。ここまで25敗を喫していたが、そのうち16試合が1点差負けだった。

【2ケタになる前に止めることが出来ていた?】

 連敗が始まった頃、選手たちは気軽に考えていた。「今日はさすがに勝てるだろう」。実際に初芝も「慌てる必要は無かったんだよね。10連敗になる前に何度も何度も勝てる試合はあったんだから」と振り返る。ところが投打が不思議なほどかみ合わない。投手が好投すれば打線が沈黙する。打線がつながると投手が打たれる。そして、終わってみれば接戦で白星に届かない。福浦も「打ったら、もっと点を取られるし、投手が抑えたら向こうがもっと抑えるんだもん。何かおかしいなと思っているうちにズルズルいった」。

 改めて、18連敗の詳細を追う。カードの後ろのHはホーム、Vはビジターゲーム。得点の後ろの投手は責任投手(カッコ内は先発)。

◆1敗目 6月13日 オリックス12回戦H(千葉) ●4-6 小宮山(小宮山)
 スタートは6月13日のオリックス12回戦(千葉マリン)だった。序盤で4-2とリードしたものの小宮山が5回表に3点を失い逆転を許す。7回表にもリリーフ陣が追加点を許し4-6で敗れた。

◆2連敗 16日 近鉄9回戦V(藤井寺) ●8-12 清竹(クロフォード)
 先発のクロフォードが1回KO。しかし打線が2回表にすぐに5点を奪い6-4とリードする。しかし、先発から中継ぎに回っていた竹清、園川が捕まりすぐにリードを許し8-12で敗れる。

◆3連敗 17日 近鉄10回戦V(藤井寺) ●6-9 近藤(薮田)
 序盤から先行されるも、8回表に6-6に追いつく。7回裏からマウンドに上がっていた近藤が8回裏も続投するも一死でピンチを招く。代わった藤田が打者一人にヒットを許して吉田にスイッチしたが、吉田が勝ち越し打を許し3点を失い6-9で敗戦。

◆4連敗 18日 近鉄11回戦V(藤井寺) ●5-7 竹清(黒木)
 黒木が先発。6回裏二死まで2失点と好投。ピンチを招いて降板するも園川が後続を断ち3-2とリードを保つ。打線が7回表に2点を追加して5-2。園川が7、8回と無失点で切り抜け9回裏へ。9回裏は小島が登板。一死を取るもピンチを招き藤田へ。藤田は二死として吉田が登板。しかし、吉田が打者3人に3安打を許し追いつかれる。延長11回裏、7番手竹清が被弾してサヨナラ負け。この頃からベンチのバタバタ感が感じられる。

 大きな要因として挙げられるのは抑えの不在だった。チームが好調だった序盤はベテラン吉田が抑え役だった。ただ、実際には不安もあった。3セーブを挙げていたが勝敗は0勝3敗。その吉田の状態は序盤から比べると明らかに落ちていた。ここで首脳陣は黒木を抑えに起用することを決めた。

◆5連敗 19日 日本ハム10回戦V(東京D) ●0-7 小宮山(小宮山)
 守備の乱れから先発小宮山が崩れる。小宮山は7回4失点も自責点は1。4失策で打線は7安打を放ちながら零封を喫し0-7で敗れる。

◆6連敗 20日 日本ハム10回戦V(東京D) ●2-3 黒木(武藤)
 6連敗目11回戦は先発武藤が好投。7回まで日本ハム打線を零封して打線が援護した1点を守る。8回表には待望の追加点を挙げ2-0とリードして8回裏から黒木が登板。しかし、黒木が3点を失い逆転負けを喫する。

◆7連敗 21日 日本ハム10回戦V(東京D) ●10-11 黒木(クロフォード)
 序盤から打ち合いの展開に。5回まで4-8と劣勢だったが、6回表に3点を奪い1点差、さらに8回表に8-8の同点に追いつく。しかし8回裏に1失点して再びリードを許す。それでも9回表に2点を奪い10-9と再逆転に成功。9回裏は8回からマウンドに上がっていた竹清がそのまま続投。しかし、ピンチを招き黒木にスイッチ。その黒木が逆転打を許してサヨナラ負け。連日黒木を投入しての連日の逆転負けは痛かった。

 黒木の抑え起用に、数年後、ある投手がこの時のことを振り返ってくれた。「10連敗を超えてから抑えにするなら「緊急事態だから」で納得できるけど、6連敗目で抑えに指名したからね。河本の復帰が近いことも分かっていたから、それまでのつもりだったんだろう。でも、バタバタ感が出ちゃうよね。園川も小島も竹清も藤田もいたのに。しかも先発で6回投げた後、中1日で初の抑え登板して2試合連続失敗。黒木がかわいそうだった。何より、先発の柱が1本欠けちゃったしね」。

◆8連敗 23日 西武12回戦(富山)V ●0-4 薮田(薮田)
 西武・西口の前に打線がつながらず。打線は8安打を放ちながらも、ここ一番で得点を奪えず0-4の完封負け。

◆9連敗 24日 西武13回戦(富山)V ●5-6 竹清(礒)
 ルーキー礒が4度目の先発。5回まで西武打線を0点に封じるも、6回裏に崩れて5失点。しかし打線が追い上げ、7回に3点、8回に2点を奪い同点に追いつき延長へ。11回裏に竹清がマウンドに上がるもサヨナラ負けを喫する。

◆10連敗 26日 近鉄12回戦(千葉)H ●2-4 藤田(小宮山)
 約2週間ぶりに本拠地に戻る。小宮山と近鉄・岡本の投げ合いに。しかし小宮山が7回表に被弾して1点のリードを許す。それでも小宮山が踏ん張る。9回裏に相手のミスに乗じて同点に追いつき延長へ。小宮山は10回も0点に封じて11回表は藤田が登板。一死を取るもヒットで走者を許して黒木がマウンドへ。しかし、黒木が2本のタイムリーを許して1-3と越し許して敗戦。ついに連敗は「10」と2ケタに突入した。

 結局黒木は3試合に抑えとして登板し3試合とも失敗。中10日間隔を空けて七夕の悲劇の登板となった。たらればになるが、黒木が先発のままならば2試合に先発していた。

 黒木で失敗すると、藤田、竹清、小島と中継ぎを交代で抑え役に充てた。「連敗中も吉田と決めて吉田で締めていれば、失敗はあったかも知れないがどこかで止まっていたと思う」と投手出身のОBは話す。ただ、ベンチも迷走していた感がある。「藤田に任せればよかったんだよ」と話すのは前述の投手。「ルーキーだったけど度胸満点。だけど、ベンチは左打者へのワンポイントでの起用がほとんどだった。かと思えば3イニングを投げさせたり。藤田に「お前に任せた。打たれても良いから頼んだ」と言えばいけていたと思うよ。ランナーを出して次右打者だったら交代だもん。9回の頭から任せれば10連敗の前に一つは勝ててたと思うよ」と話した。

【止まらなくなった黒星街道】

 10連敗を超えた頃からは「勝たなければ」という強い意識が働いたと当時の何人かの選手が答えている。ベンチで見ていた投手も「バッターがチャンスになると金縛りにあっているみたい」と感じていた。10連敗目以降の安打と得点(被安打と失点)を見てみると、2ケタ安打は七夕の17連敗目の試合のみ。その試合も15安打で3得点という効率の悪さだった。また、失策も増えている。
・10連敗目…6安打1得点(11被安3失点)2失策
・11連敗目…7安打1得点(8被安3失点)
・12連敗目…2安打2得点(11被安6失点)1失策
・引き分け…9安打5得点(16被安5失点)
・13連敗目…8安打4得点(9被安7失点)1失策
・14連敗目…9安打3得点(10被安4失点)1失策
・15連敗目…8安打7得点(13被安10失点)2失策
・16連敗目…7安打3得点(21被安10失点)1失策
・17連敗目…15安打3得点(7安打7失点)2失策
・18連敗目…7安打4得点(7被安6失点)1失策

 「10連敗を超えた頃かな? 日に日に雰囲気がおかしくなっていくんですよ。記者さんも増えてくるし、スタンドの雰囲気も違っているのが分かるんですよ。選手も言葉少なくなってくるし(笑)」。当時の裏方スタッフが話す。
 初芝も「8連敗ぐらいまでは「そろそろ勝てるだろう」と気負う気持ちはなかったけれど、いつもなら手が自然と出る甘い球に手が出ない。ヤバいヤバいと思う気持ちが強くなって焦りにつながった。チャンスに回ってくると「自分が何とかしなきゃ」とまた気負う。不思議な感覚だった」と振り返ったが、まさしく現場はもちろんスタンドも「なぜ勝てないんだ?」との雰囲気が漂って来た。

◆11連敗 27日 近鉄13回戦(千葉)H ●1-3 武藤(武藤)
 武藤と近鉄・真木の投げ合いは4回裏に1点を先行。武藤が6回表に追いつかれたが7回も封じ1-1。しかし100球を超えていた武藤が力尽きる。8回表もマウンドに上がったが勝ち越しを許して降板。小島も失点して1-3と逆転を許して敗戦。

◆12連敗 28日 近鉄14回戦(千葉)H ●2-6 クロフォード(クロフォード)
 先発クロフォードが4回表に4失点、5回表に2失点と5回6失点で降板。打線は8回裏に2本のタイムリーで2点を返すも2-6で敗戦。
 試合前に観戦に訪れた重光オーナー代行と近藤監督が緊急会談。翌29日に中村投手コーチのフロント入り、佐々木信行ブルペンコーチ就任を発表。新外国人としてブライアン・ウォーレン投手を支配下登録。

◆引分 30日 西武14回戦(福井)H △5-5(薮田)
 先発・薮田が4回までに3点の先行を許すも、打線が5回裏に集中打で5点を奪い逆転に成功。薮田は6、7回と踏ん張るも8回表に力尽き2点を奪われ同点に追いつかれる。その後、竹清が後続を断ち、9回二死からマウンドに上がった藤田が延長に入っても続投。12回まで3回を超えるロングリリーフも無失点で切る抜ける。しかし、打線の援護なく引き分け。

◆13連敗 7月1日 西武15回戦(石川)H ●4-7 礒(礒)
 雨のために3度試合が中断する悪天候。初回に1点を先行するものの、礒が2回表に3失点、4、5回にも失点して降板。5回裏に打線が2点を返3-5と迫るも、リリーフ陣が7回、9回にも失点して3-7。9回裏に打線は粘るも1点を返しただけに終わる。4-7で敗れる。

◆14連敗 7月3日 ダイエー10回戦(千葉)H ●3-4 小宮山(小宮山)
 再び本拠地3連戦。12,000人のスタンドも異様な雰囲気が漂う。先発の小宮山が2回表に1点、5回表に3点と先手を許す。それでも踏ん張り続投する小宮山。そんな小宮山に打線が援護。6回裏に2点、7回裏に1点を返し3-4と1点差に迫る。小宮山は完投するが反撃もここまで。ついに14連敗とする。試合後、スタンドからゴミが投げ込まれて騒然とする。
 試合前にウォーレンの入団発表が行われる。

◆15連敗 4日 ダイエー11回戦(千葉)H ●7-10 礒(武藤)
《1969年南海以来のパ・リーグタイ記録》
 スタンドは連敗脱出を願い23,000人のファンの声援が後押しする。2回表に2点の先行を許すもその裏に同点、3回裏に2点を奪い4-2と逆転に成功。先発武藤は3回以降は立ち直り6回表にはピンチを招き降板、代わった園川、竹清が後続を断つ。しかし7回表、竹清が同点に追いつかれ、さらに代わった吉田もタイムリーを許し4-6とリードを許す。9回裏、堀が同点弾を放ち延長へ。11回表、7番手としてマウンドに上がった礒が井口に勝ち越し弾を被弾するなど4失点。その裏の反撃も1点に終わり15連敗。

◆16連敗 5日 ダイエー12回戦(千葉)H ●3-10クロフォード(クロフォード)
《1970年ヤクルト以来のNPBタイ記録》
 スタンドは21,000人の観衆で埋まる。先発クロフォードが初回に先行を許すも、打線が直ぐに追いつく。しかしクロフォードは2回表、3回表にも失点、5回表には3失点してクロフォードは降板、1-6とリードを許す。5回裏打線が2点を返し3-6と追撃。しかしリリーフ陣が6回表に1失点、7回表には3点を失い3-10と大きくリードを許す。打線も終盤は沈黙。投手陣は21安打を浴びる大敗。
 NPB記録に並ぶ大敗。しかし、ロッテファンはスタンドから罵声を浴びせることなく、試合の最後まで声援を送り、試合後には球場前で「俺たちがついている」を30分以上合唱した。

◆17連敗 7日 オリックス13回戦(神戸)V ●3-7 藤田(黒木)
《NPB新記録》
 黒木が中10日、万全の状態で先発に帰って来た。黒木の気合に応えるように打線は3回表に福浦の犠飛とフランコのタイムリー二塁打で2点を先行。黒木は4回裏に1点を失うものの力投を続ける。6回表にはキャリオンに一発が飛び出し3-1とリードして最終回へ。黒木はヒットを許しながらも二死とする。しかし139球目をプリアムに同点弾を被弾して降板。延長12回裏に藤田がピンチを招くと代わった近藤がサヨナラ満塁弾を被弾して17連敗の日本記録を更新した。

◆18連敗 8日 オリックス14回戦(神戸)V ●4-6 薮田(薮田)
《NPB記録更新》
 先発薮田が先手を許す。3回表に2点を返し2-3と1点差に迫るものの、その裏に1失点、5回裏には2点の追加を許して薮田は降板。代わったリリーフ陣が無失点で踏ん張るものの、打線は
8回表に2点を返すのみ。連敗記録は18まで伸びた。

 「野球に不思議な勝ちあれど、不思議な負けはなし」。ヤクルトと楽天で監督を務めた故野村克也氏の遺した言葉である。何で勝てたんだと思う勝利はあるけれど、敗戦には必ず理由がある。その理由をしっかりと見極めて反省し、次に生かすことが大切だという意味である。ところが、信じられない「不思議な負け」が続いた。だからこそ未踏の記録になったのだと感じている。

 そして、七夕の悲劇の主役となった黒木だったが、その黒木に苦言を呈した男がいた。「俺だったらうずくまらない。何故ならまだ同点だったから。最後まで諦めちゃいかんよ」。小宮山だった。エースとして認めた黒木だからこそ、堂々としていて欲しかったと言った。黒木は「あのコミさんの言葉は胸に刺さった。自分はまだまだ甘いな」。一回り大きくなった黒木は、このシーズン最多勝と最高勝率の投手2冠を獲得した。

【スタンドから聞こえた「俺たちがついてる」】

 18連敗の中で、首脳陣、選手、裏方たちが今でも口を揃えるのがスタンドのファンの温かい声援だった。「物投げられても仕方ない負け方。でも、負けても負けても「俺たちがついてるぜ」の合唱。申し訳ない気持ちでいっぱいだった」。小坂は何度もファンに頭を下げてお礼をしたと振り返った。
 この18連敗をきっかけにロッテの応援の注目度が増した。一番目を引いたのは、当時は珍しかった揃いのユニホームの応援だった。
 次回は、18連敗をきっかけに注目が高くなった、ファンクラブとユニホームの応援について。

(次回)⇒(21)《有料・冒頭試読》風しん蔓延で主力が消えた14日間(1995年)


【マリーンズ略史 92~05 INDEX】

◆~1991(平成3)年
 (1)《無料》『千葉移転前夜』
 (25)《無料》 オリオンズ~マリーンズ ファンクラブ略史
◆1992(平成4)年
 (2)《無料》『千葉移転元年 4月ダッシュも最下位に沈む』
◆1993(平成5)年
 (3)《有料・冒頭試読》『最下位脱出も大差の5位に低迷』
◆1994(平成6)年
 (4)《有料・冒頭試読》『八木沢監督休養、2年連続5位に終わる』
◆1995(平成7)年
 (5)《有料・冒頭試読》『球団改革断行、千葉移転後初のAクラス』
 (21)《有料・冒頭試読》風しん蔓延で主力が消えた14日間(1995年)
◆1996(平成8)年
 (6)《有料・冒頭試読》『投手充実も、得点力不足否めず5位低迷』
◆1997(平成9)年
 (7)《有料・冒頭試読》『中盤反攻も迫力不足否めず最下位に沈む』
◆1998(平成10)年
 (8)《有料・冒頭試読》『18連敗「七夕の悪夢」もチーム力は向上気配』
 (20)《有料・冒頭試読》なぜ18連敗を喫したのか? (1998年)
 (22)《有料・冒頭試読》ユニホーム応援が広がったのはロッテから (1998年~)
◆1999(平成11)年
 (9)《有料・冒頭試読》
    『18年ぶり「七夕首位」も、連敗喫して4位低迷』
    (18)《有料》熱く育てた山本監督の5シーズン (1999年~)
◆2000(平成12)年
 (10)《有料・冒頭試読》『4月出遅れ5割届かず5位低迷』
◆2001(平成13)年
 (11)《有料・冒頭試読》『世代交代、福浦首位打者、小林雅パ記録もエース後半離脱』
◆2002(平成14)年
 (12)《有料・冒頭試読》『開幕11連敗が響き借金5の4位に終わる』
◆2003(平成15)年
 (13)《有料・冒頭試読》『終盤に先発安定、9月快進撃も4位で山本監督辞任』
◆2004(平成16)年
 (14)《有料・冒頭試読》『ボビー復帰、新制度プレーオフ進出に0.5ゲーム差』
 (17)《有料・冒頭試読》「ボビーマジック」とは何だったのか(2004年)
 (19)《有料・冒頭試読》巻き込まれた、球界再編騒動 (2004年)
◆2005(平成17)年
 (15)《有料・冒頭試読》『プレーオフで逆転優勝、阪神破り31年ぶり日本一』
 (16)《無料》(付録)『ポストシーズン詳細、二軍合わせて6冠王者成』
-------------選 手 編------------
(23)《有料・冒頭試読》チーム支えたエースの苦悶・黒木知宏(1995~2007年在籍)
(24)《有料・冒頭試読》二軍成長記・福浦和也(1994~2019在籍)
(26)《有料・冒頭試読》ルーキーからフル回転左腕・藤田宗一(1998年~2007年在籍)
(27)《有料・冒頭試読》低迷期支えたエース、復帰後はリリーフで日本一・小宮山悟(1990年~1999年、2004年~2009年在籍)

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2023年シーズンは千葉ロッテマリーンズ74度目のシーズン。 73年間の歴史を振り返りつつ、今シーズ…

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