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《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-71- 日本一支えた左強打捕手・橋本将】


(71)日本一支えた左強打捕手・橋本将

 里崎とともにバレンタイン監督の「併用起用方針」で投手陣を支えた。左の強打者としてマスク以外に打撃力も買われていたが、左投手の時はベンチで控える試合も多かった。
 今回はプロ入り時の「弱肩」というウィークポイントを克服し、日本一を支えた2005年シーズンまでの11年間を中心に橋本将の苦闘と活躍を振り返ってみたい。

 【弱点痛感とケガの2年間】

 打撃力を買われての入団だった。1年目の1995年はその打撃力が買われて二軍の試合に出場した。開幕当初はベンチで試合を見る事が多かったが、代打で出場してヒットを重ね、5月に入るとスタメンマスクのチャンスも回って来た。6月末にはこのシーズンの指揮を執ったバレンタイン監督の意向で一軍にも呼ばれた。しかしプロ初打席で三振。2打席に立ち登録を抹消された。それでも
、二軍では52試合に出場。打率は.286、5本塁打20打点を記録。高卒ルーキーとしてはまずまずの数字を残した。しかし、自分の弱点も痛感した。「肩が強くなかったので、大きな弱点だと感じました」。高校時代は力でカバーしていたが、プロでは二軍でも通じない。基礎から作り直すことを決意した。
 しかし、2年目の1996年はケガに泣いた。左ひざを痛めて二軍の戦線からも離脱。一軍に上がることなくシーズンを終えた。ただ、体を作り直し基礎を見直す良い時間になった。

 【イロハを伝授される師匠との出会い】

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