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《全文無料》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜11】「00」最も新しい系譜は助っ人、俊足の系譜


(11)「00」最も新しい系譜は助っ人、俊足の系譜

 00はレギュラー背番号の中で最もスタートが新しい背番号になる。初代は大順将弘が川崎球場最終年となった1991(H3)年に着けたのが初めてだ。00の認知度を高めたのは、諸積兼司と小坂誠になるだろう。
 現在引き継いでいる池田来翔には、新しい背番号のページを刻んで欲しい。

----- 現在の背番号「00」 -----

 ★《11代》2022(R4)年~2025年は4年目 池田 来翔(いけだ らいと) 内野手(25年は在籍3年目)

  1999(H11)年12月11日生(入団時22歳)、右投右打
  千葉・習志野高–国士舘大–千葉ロッテ(22〜)

 【池田 来翔 背番号変遷】00(3)
 国士舘大学から2021(R3)年のドラフト2位で入団した池田来翔が、背番号00を引き継いだ。
 1年目の22(R4)年は開幕5戦目でデビュー。初安打も記録したが4月下旬には登録抹消。終盤に再登録されるも11試合、打率.091に終わった。
 2年目の23(R5)年は一、二軍を行き来したが、最終的に1年目を上回る40試合に出場し、打率.269、プロ初本塁打を含めて2本塁打も放った。オフにはオーストラリア・ウインターリーグで武者修行した。
 24(R6)年は開幕直後の4月初旬に登録されスタメンに抜擢される。しかしヒットが出ず1週間で抹消。その後も5月末、8月と登録されるも打撃の状態が上がらず、最終的に21試合の出場に留まり、打率.111に終わった。

 (2024(R6)年 シーズン終了時)
 <51試合、打率.238、126打数30安打、2本塁打、8打点、0盗塁>

----- オリオンズ&マリーンズ「00」の系譜 -----

※1950(S25)年~1990(H4)年 空番


 ★《初代》1991(H3)年~1992(H4)年・2年 大順 将弘(たいじゅん まさひろ) 外野手(在籍3年)

  1964年11月16日(入団時25歳)、右投右打
  台湾・華興高–名古屋商科大–千葉ロッテ(90〜92)

 【大順 将弘 背番号変遷】79(1) ⇒ 00(2)
 台湾出身。留学していた名古屋商科大での実績を買われて1990(H2)年に練習生として入団。オフにドラフト外で指名され正式契約。背番号を79から初代00に変更した。
 1年目の91(H3)年は、二軍では月間MVPを獲得。しかし、一軍では3試合の出場に留まり無安打に終わる。
 千葉に移転した92(H4)年には夏場に一軍登録され、プロ初本塁打を放ったものの9試合、打率.147に終わり退団、帰国した。帰国後は台湾球界で活躍した。

 ◆在籍時通算打撃成績<12試合、打率.135、37打数5安打、1本塁打、4打点、0盗塁>
 ◇初出場、初打席<1991(H3)年7月28日・近鉄15回戦(藤井寺)/代打/1打0安>
 ◇初スタメン<1991(H3)年8月30日・西武20回戦/H(川崎)/8番三塁/1打0安>
 ◇初安打、初本塁打、初打点<1992(H4)年8月18日・近鉄19回戦/H(千葉マリン)/4番DH/江坂政明から>


 ★《2代》1993(H5)・1年 ダリル・モトリー 外野手(在籍2年)

  1960(S35)年1月21日生(入団時32歳)、右投右打
  米・グラント高‐米・マイナー(78~80)‐カンザスシティ・ロイヤルズ(81)‐米・マイナー(82)‐カンザスシティ・ロイヤルズ(83~86)‐アトランタ・ブレーブス(87)-米・マイナー(88~91)‐千葉ロッテ(92~93)

 【モトリー 背番号変遷】4(途中) ⇒ 00(1)
 → モトリー 背番号 4 へ(有料エリア)
 前年1992(H4)年に入団し、2年目を迎えた助っ人モトリーが4だった背番号を00に変更した。
 前年は8月に死球を受け左手を骨折し、以降のシーズンを棒に振っていた。改めて期待されての2年目だったが、93(H6)年はメル・ホールとマックス・ベナブルがいたため、2人という外国人枠で二軍暮らしが続いた。その二軍では最多本塁打と打点王を獲得したものの、一軍ではわずか19試合しか出場できず、この年限りで退団した。

 ◆打撃成績<181試合、打率.222、162打数36安打、7本塁打、20打点、2盗塁>
 ◇初出場、先スタメン<1992(H4)年7月1日・西武12回戦(千葉マリン)/4番左翼/>
 ◇初安打、初本塁打、初打点:1992(H4)年7月2日・西武13回戦(千葉マリン)/新谷博から>
 ※イースタンタイトル・表彰(本塁打王・打点王(93))


 ★《3代》1994(H6)年~1996(H8)年・3年 【サイン】諸積 兼司(もろづみ けんじ)(在籍13年、コーチ25年は12年目)

左・週刊ベースボール誌から、右・当館所蔵サイン色紙

  1969(S44)年5月29日生(入団時24歳)、右投左打
  福島・学法石川高–法政大–日立製作所–千葉ロッテ(94〜06)
  千葉ロッテコーチ(07〜10、18〜)

 【諸積 兼司 背番号変遷】00(3) ⇒ 0(10)、73(4)、83(8)
 1993(H5)年ドラフト5位で社会人・日立製作所から入団した諸積兼司が背番号00を継いだ。
 1年目の94(H6)年はキャンプから即戦力として切り込み隊長役を期待されたが、開幕直後に抹消され、一軍では4試合の出場に終わる。
 2年目の95(H7)年は米国での一軍キャンプに参加。しかし、キャンプ中に実父が亡くなり緊急帰国。合流後は一軍に再合流せず、二軍でリハビリ組とともにじっくり体を作り直した。それが奏功する。5月に一軍では風しん禍が発生。二軍の首脳陣から「10日間だけ行ってきてくれ」と言われ一軍に合流。合流直後の試合に1番左翼でスタメン出場し4安打を記録。以降、中堅のレギュラーに定着し、打率.290でリーグ6位に顔を出し、盗塁も24個を決めブレイクした。
 翌96(H8)年も切り込み隊長として期待されたが、打撃の調子の波が激しく112試合に出場も.253と低迷して規定打席に到達出来なかった。オフには背番号を0に変更した。
 → 諸積兼司 背番号 0 へ(無料公開)

 ◆在籍時通算打撃成績<1110試合、打率.263、2628打数691安打、7本塁打、153打点、103盗塁>
 ◇初出場、初スタメン、初打席、初安打<1994(H6)年4月13日・近鉄1回戦/R(藤井寺)/1番中堅/3打1安>
 ◇初打点<1995(H7)年5月30日・近鉄9回戦/H(千葉マリン)/9番中堅/3打1安/適時打>
 ◇初本塁打<1995(H7)年7月7日・ダイエー14回戦/H(千葉マリン)/1番中堅/下柳剛から>

 ※在籍時に達成した主な記録
  ◆24連続試合安打(2002年5月25日~7月17日)球団史上2番目、NPB23位タイ
  ◇1000試合出場(2004年9月14日、史上399人目)


 ★《4代》1997(H9)年・1年 【サイン】小坂 誠(こさか まこと) 内野手(在籍9年)

  1973(S48)年7月2日生(入団時23歳)、右投右打
  宮城・柴田高‐JR東日本東北‐千葉ロッテ(97~05)‐巨人(06~08)‐楽天(09~10)
  千葉ロッテコーチ(18〜23)

 【小坂 誠 背番号変遷】00(1) ⇒ 1(8)、コーチ/73(6)
 1996(H8)年ドラフト5位でJR東日本から入団した小坂誠が背番号00を着けた。守備力の評価は各球団とも高かったが、小柄な体は打撃力に難があると各球団とも敬遠したが、名遊撃手だった当時の広岡達郎GMが太鼓判を押しての指名だった。
 キャンプから首脳陣の評価は高く、2番遊撃で開幕スタメン出場。その開幕戦で3安打猛打賞をマークしてお立ち台に上がる。以降も遊撃のレギュラーに定着し、3・4月は打率.352を記録して月間MVPに選出される。以降、打率は徐々に落としたものの、盗塁数は重ねていく。最終的に全試合に出場して規定打席に到達。打率は.261(リーグ30位)だったものの、現在も残る新人最多記録となる56盗塁を記録。盗塁王は逃したものの新人王を獲得した。オフには背番号を1に変更した。

 ◆在籍時打撃成績<7098試合、打率.257.、3836打数986安打、18本塁打、280打点、265盗塁>
 ◇初出場、初スタメン、初打席、初安打、初打点<1997(H9)年4月5日開幕戦・日本ハム1回戦/R(東京D)/2番遊撃/3打3安/初打点は適時打>
 ◇初盗塁<1997(H9)年4月8日・近鉄1回戦/R(大阪D)/2番遊撃/4打3安>
 ◇初本塁打<1997(H9)年8月22日・近鉄20回戦/R(大阪D)/2番遊撃/岡本晃から>
 ◇オールスター出場/5回(97,99,00,01,03)

 ※所属時に獲得したタイトル
 ◆盗塁王/2度(1998年、2000年)
 ※所属時に受賞した表彰
 ◆新人王(1997年)
 ◆ゴールデングラブ賞/4度(1999年、2000年、01年、05年/ともに遊撃)
 ◆月間MVP(1997年3・4月/野手)
 ※所属時に達成した主な記録
 ◆新人シーズン56盗塁数(1997年、NPB最多記録)
 ◆40盗塁・40犠打(1998年、NPB史上初)
 ◆新人から5年連続30盗塁(1997年~2001年、史上2人目)
 ◆シーズン守備率.994(2002年、パ・リーグ遊撃手記録)
 ※所属時に達成した主な記録
 ◇200盗塁(2002年7月22日、史上63人目)
 ◇1000試合出場(2005年4月22日、史上401人目)


※1998(H10)~2000(H12)年 空番


 ★《5代》2001(H13)年~2003(H15)年・3年 デリック メイ 外野手(在籍3年)

  1968(S43)年7月14日生(入団時32歳)、右投左打
  米・ニューアーク高–米マイナー(86〜89、00)–シカゴ カブス(90〜94)–ミルウォーキー ブルワーズ(95)–ヒューストン アストロズ(95〜96)–フィラデルフィア フィリーズ(97)–モントリオール エクスポズ(98)–ボルチモア オリオールズ(99)–千葉ロッテ(01〜03)

 【メイ 背番号変遷】00(3)
 2000(H12)年の秋季キャンプで入団テストを受け合格し入団が決まったメイが、3年間空番だった00を着けた。
 1年目の01(H13)年は6番右翼で開幕スタメン。2戦目で1号を放つ。以降、4月中に3割5本塁打をマークし、3番福浦・4番ボーリック・5番目メイとクリーンアップを形成する。9月15日には30号を放ち、93(H5)年のホール以来、千葉移転後2人目となる30本塁打を記録した。最終的に本塁打は31本を記録。ボーリックも31本を放ち、86(S61)年の落合(50)・リー(31)以来、複数の30本塁打打者が誕生した。1年目は、打率.282(リーグ15位)91打点だった。
 02(H14)年はボーリックが不調と腰痛で調子が上がらず、中盤からは4番を務める。本塁打は23本と減らしたものの90打点と勝負強さを発揮した。打率は.273で前年と同じリーグ15位だった。03(H15)年は開幕から不振に陥り登録を抹消される。代わりに入団したリック・ショートとホセ・フェルナンデスが好調で2人の外国人枠から登録されず、30試合の出場に留まり、このシーズン限りで退団した。

 ◆在籍時通算打撃成績<298試合、打率.274、1098打数301安打、59本塁打、200打点、2盗塁>
 ◇初出場、初スタメン、初打席<2001(H13)年3月24日開幕戦・西武1回戦/R(西武D)/6番右翼/2打0安>
 ◇初安打、初本塁打、初打点<2001(H13)年3月25日・西武2回戦(西武D)/3番右翼/4打2安/初安打初本塁打/石井貴から>


※2004(H16)年 空番


 ★《6代》2005(H17)年~2008(H20)年・4年 代田 建紀(だいた たけのり)(在籍5年)

  1974(S49)年2月11日生(移籍時31歳)、右投両打
  神奈川・藤嶺藤沢高–城西大–朝日生命–近鉄(98〜00)–ヤクルト(00〜02)–千葉ロッテ(03、05〜08)
  千葉ロッテコーチ(09〜10)

 【代田 建紀 背番号変遷】65(1) 、00(4)、コーチ/71(1)⇒80(1)
 → 代田建紀 背番号 65 へ(有料エリア)
 2003(H15)年にテストを受け入団し、背番号65を背負った代田建紀だったが、最終戦でアキレスけん断裂という大ケガに見舞われ1年で退団した。しかし、04(H16)年は治療とリハビリに努め、トライアウトに参加。視察したバレンタイン監督の目に留まり、05(H17)年に再入団となった。背番号は00を引き継いだ。
 その05(H17)年は開幕一軍切符を手中にし、2戦目にはスタメン出場を果たす。しかし、打撃の状態が上がらず、主に代走の登場も打率は1割を切る.091で31試合の出場に留まった。翌06(H18)年は17試合で.182、07(H19)年は開幕から一軍登録され、4月29日の西武戦で安打で一塁から本塁に還った好走塁が認められ全農Gо・Gо賞3・4月度「好走塁賞」(Go Spikes・GS賞)を受賞。結局、.364と打撃の状態は良かったものの37試合の出場に終わる。
 翌08(H20)年は2試合の出場に終わり、この年限りで引退した。

 ◆在籍時通算打撃成績<120試合、打率.161、87打数14安打、0本塁打、4打点、15盗塁>
 ◇ロッテ初出場<2003(H15)年3月29日・ダイエー2回戦/R(福岡D)/代走/打席なし>
 ◇ロッテ初スタメン、初打席<2003(H15)年4月5日オリックス1回戦/R(ヤフー神戸)/2番左翼/4打0安>
 ◇ロッテ初安打<2003(H15)年10月8日・オリックス27回戦/R(ヤフー神戸)/1番中堅/4打1安>
 ◇ロッテ初打点<2003(H15)年10月10日・日本ハム27回戦/H(千葉マリン)/1番中堅/3打1安/適時打>


※2009(H21)~2010(H22) 空番


 ★《7代》2011(H23)年~2016(H28)年・6年 髙濱 卓也(たかはま たくや) 内野手(在籍11年)

  1989(H1)年7月6日生(移籍時21歳)、右投左打
  (出身・佐賀)神奈川・横浜高–阪神(08〜11)–千葉ロッテ(11〜21)

 【髙濱 卓也 背番号変遷】00(6) ⇒ 32(3) ⇒ 127(1+途中) ⇒ 61(途中)
 小林宏の阪神へのFA移籍に伴う人的補償措置として、阪神から移籍した髙濱卓也が空番だった00を着けた。移籍は2011(H23)年のオープン戦期間中だった。それまで阪神では3年間一軍出場はなかったが、西岡剛の米移籍、今江敏晃の離脱で手薄となった内野でのユーティリティーと22歳という若さを買われての指名だった。その11(H23)年は5月に自身一軍初出場、初安打を記録するも19試合の出場に終わる。翌12(H24)年は二軍で3割をマークするも一軍では2試合、13(H25)年は6試合の出場に留まる。
 14年(H26)は二軍で好調な打撃を見せ、イースタン・リーグ首位打者、最高出塁率のタイトルを獲得。一軍でも自己最多となる36試合に出場し、打率.232を記録する。15(H26)年は33試合打率.286を記録した。
 16年(H27)年は、初の開幕一軍入りし、2番三塁で開幕スタメン出場を果たす。4月19日にギックリ腰を発症し離脱も復帰後は好調をキープする。しかし、6月に腰痛を訴え抹消。復帰した後半は調子を落としたため、最終的に53試合、打率.215、3本塁打を記録。オフには背番号を00から32に変更した。
 → 高濱卓也 背番号 32 へ(有料エリア)
 → 高濱卓也 背番号 127 へ
 → 高濱卓也 背番号 61 へ(有料エリア)

 ◆在籍時打撃成績<212試合、打率.220、382打数84安打、3本塁打、30打点、0盗塁>
 ◇初出場、初スタメン、初打席、初安打<2011(H23)年5月24日・広島2回戦/R(MAZDA)/2番遊撃/4打2安>
 ◇初打点<2014(H26)年8月9日・西武16回戦/H(QVCマリン)/途中一塁/1打1安/適時三塁打>
 ◇初本塁打<2016(H28)年4月15日・日本ハム4回戦/R(札幌D)/7番三塁/榎下陽大から>


 ★《8代》2017(H29)年・1年 柴田 講平 外野手(在籍1年)

  1986(S61)年7月17日生(移籍時30歳)、左投左打
  福岡・福岡工業大城東高–国際武道大–阪神(09〜16)–千葉ロッテ(17)

 【柴田 講平 背番号変遷】00(1)
 阪神を退団し、トライアウトに参加していた柴田講平の入団が決まり、背番号00を着けた。
 キャンプは一軍に参加したものの開幕は二軍。5月に登録され、スタメン起用されたものの、最終的に17試合、打率.121に終わり、1年限りで退団した。

 ◆在籍時通算打撃成績<17試合、打率.121、33打数4安打、1本塁打、2打点、1盗塁>
 ◇ロッテ初出場、初打席<2017(H29)年5月7日・ソフトバンク9回戦/H(ZOZOマリン)/代打左翼/1打0安>
 ◇ロッテ初スタメン<2017(H29)年5月10日・楽天6回戦/R(Koboパーク)/9番左翼/3打0安>
 ◇ロッテ初安打<2017(H29)年5月11日・楽天7回戦/R(Koboパーク)/9番左翼/3打1安>
 ◇ロッテ初本塁打、初打点<2017(H29)年5月13日・日本ハム8回戦/R(東京D)/8番左翼/有原航平から>


※2018(H30)年 空番


 ★《9代》2019(H31)年・1年 ジョシュ レイビン 投手(在籍1年)

  1988(S63)年1月21日生(入団時31歳)、右投右打
  米・チャッツワース高–米マイナー(06〜14)–ロサンゼルス ドジャース(15〜17)–アトランタ ブレーブス(18)–千葉ロッテ(19)

 【レイビン 背番号変遷】00(1)
 2019(H31)年に入団したレイビンが背番号00を着けた。00番初の投手となった。
 ケガで出遅れ6月に初登板。まずまずのピッチングを見せたものの、2試合目は炎上。結局、一軍登板はこの2試合だけで退団した。

 ◆在籍時通算投手成績<2試合、0勝0敗、防27.00、0S、0H、0先発、0完封、1奪三振>
 ◇初登板<2019(H31)年6月2日・西武11回戦/H(ZOZOマリン)/3番手完了/1回0失>


 ★《10代》2020(R2)年~2021(R3)年・2年 鳥谷 敬(とりたに たかし) 内野手(在籍2年)

  1981(S56)年6月26日生(移籍時38歳)、右投左打
  (出身・東京)埼玉・聖望学園高–早稲田大–阪神(04〜19)–千葉ロッテ(20〜21)

 【鳥谷 敬 背番号変遷】00(2)
 阪神の主力だった鳥谷敬が阪神を退団。現役続行を模索していたが、2020(R2)年3月に入り獲得を発表され、背番号は00を引き継いだ。
 39歳のベテランには若手が多い内野陣のみならず、野手全体の手本としての期待も大きかった。その期待に応えるべく、守備や走塁で率先して見せた。しかし、出場は42試合、打率も.139、新型コロナに感染し、17年目でプロ初となる登録抹消も経験する。
 翌21年(R3)は、7番遊撃で開幕スタメン。39歳9ヶ月での開幕スタメンは遊撃手では史上最高齢だった。しかし、状態は上がらず7月に登録抹消。二軍でも打撃の調子が取り戻せず、このシーズン限りで引退した。

 ◆在籍時通算打撃成績<74試合、打率.157、89打数14安打、0本塁打、8打点、0盗塁>
 ◇ロッテ初出場<2020(R2)年6月20日・ソフトバンク2回戦/R(pay payD)/代走三塁/打席なし>
 ◇ロッテ初打席<2020(R2)年6月21日・ソフトバンク3回戦/R(pay payD)/途中二塁/1打0安>
 ◇ロッテ初安打<2020(R2)年7月18日・日本ハム5回戦/R(札幌D)/途中三塁/1打1安>
 ◇ロッテ初スタメン<2020(R2)年7月23日・西武8回戦/R(メットライフD)/7番三塁/3打0安>
 ◇ロッテ初打点<2020(R2)年7月25日・西武10回戦/R(メットライフD)/途中三塁/適時二塁打>

 ※在籍時に達成した主な記録
  ◇350二塁打(2020年10月25日、史上46人目)
  ◇1000得点(2021年4月3日、史上44人目)


 ★《11代》2022(R4)年~2025年は4年目 池田 来翔(いけだ らいと) 内野手(25年は在籍3年目)


※背番号年数は、着用年数のみ。年数1年未満の場合は月数で表示しています。
※在籍年数は現役としての年数。シーズン途中移籍や入団も1年として算出。
※監督歴は他球団の監督歴も表記、コーチ歴はオリオンズ&マリーンズのみ表記。
※通算成績は背番号時に関係なく在籍時の通算成績です。
※記録内の◆はタイトル、表彰、主な記録。◇は節目の記録。
※初出場等の記録のHホーム、Rロードの略。
※タイトル、表彰、記録は在籍時に表彰を受けたものを対象としています。
※イースタン表彰のFA(JA)はフレッシュ(ジュニア)オールスタの略


(次回)⇒《有料・冒頭試読》(12)「10」投手と野手混在の系譜、3000本安打張本勲も背負う


--- オリオンズ&マリーンズ 背番号の系譜 INDEX ---

(1)《全文無料》「1」巧打好守の好選手の歴史
(2)《有料・冒頭試読》「2」3人の高卒新人開幕スタメン
(3)《有料・冒頭試読》「3」天才打者が歴史を作り、巧打者が続く系譜
(4)《有料・冒頭試読》「4」職人肌野手と助っ人の系譜
(5)《有料・冒頭試読》「5」歴代最少11人、打撃職人の系譜
(6)《有料・冒頭試読》「6」落合が生んだ打線主軸の系譜
(7)《有料・冒頭試読》「7」助っ人強打者と俊足強打の系譜
(8)《有料・冒頭試読》「8」看板打者の系譜
(9)《全文無料》「9」紡いだ歴史を大きく育てた福浦和也
(10)《全文無料》「0」新しい系譜は快足とリリーフエースの系譜に
(11)《全文無料》「00」最も新しい系譜は助っ人、俊足の系譜
(12)《有料・冒頭試読》「10」投手と野手混在の系譜、3000本安打張本勲も背負う
(13)《有料・冒頭試読》「11」左腕の系譜もマリーンズではリリーフの系譜へ
(14)1/25《有料・冒頭試読》「12」球団初戦先発投手から続く投手 時々 打者の系譜
(15)《有料・冒頭試読》「13」準エースの系譜から主力野手の系譜へ
(16)《有料・冒頭試読》「14」球団創設から続く主力投手の系譜
(17)《有料・冒頭試読》「15」フル回転投手から野手の歴史も荘勝男、美馬学が投手伝統を引き継ぐ
(18)《有料・冒頭試読》「16」トレード移籍投手の系譜】
(19)《有料・冒頭試読》「17」佐々木朗希につながるエースの系譜
(20)《有料・冒頭試読》「18」植村義信で生まれたエースの称号
(21)《有料・冒頭試読》「19」投手系譜の背番号も名捕手から始まった
(22)《有料・冒頭試読》「20」野手の系譜から、杉下、堀本、木樽とタイトル投手の系譜へ
(23)《有料・冒頭試読》「21」投手と野手が混在の系譜は、監督の顔に
(24)《有料・冒頭試読》「22」捕手の系譜から助っ人の新しい歴史へ
(25)《有料・冒頭試読》「23」主軸野手が紡いだ背番号23
(26)《有料・冒頭試読》「24」息の長い野手の系譜から投手の系譜へ
(27)《有料・冒頭試読》「25」正統・打撃職人の系譜
(28)《有料・冒頭試読》「26」TEAM26、マリーンズファンの背番号を振り返る
(29)《有料・冒頭試読》「27」主力打者から主力投手、そして捕手エースナンバーへ
(30)《有料・冒頭試読》「28」助っ人、野手から投手の系譜へ
(31)《有料・冒頭試読》「29」サンデー兆治が育て、サンデー晋吾が継いだエースの称号
(32)《有料・冒頭試読》「30」監督・コーチ・野手の背番号から投手の背番号へ
(33)《有料・冒頭試読》「31」野手の出世番号から投手の背番号へ
(34)《有料・冒頭試読》「32」主力選手から職人野手の背番号、そして捕手の新しい歴史へ
(35)《有料・冒頭試読》「33」2人の殿堂入り胴上げ監督の背番号
(36)《有料・冒頭試読》「34」400勝投手監督から投手の背番号に
(37)《有料・冒頭試読》「35」初代監督から、外野手の出世番号へ
(38)《有料・冒頭試読》「36」36からの飛躍した三井、サブロー
(39)《有料・冒頭試読》「37」投手、野手、助っ人、25代の系譜
(40)《有料・冒頭試読》「38」強心臓投手と大砲候補の系譜
(41)《有料・冒頭試読》「39」投手・野手から捕手の系譜へ
(42)《有料・冒頭試読》「40」多士済々のメンバーが連なる系譜
(43)《有料・冒頭試読》「41」期待の星から主軸へ、チーム支えた成長の系譜
(44)《有料・冒頭試読》「42」多彩な系譜オリオンズ~マリーンズは助っ人の系譜
(45)《有料・冒頭試読》「43」土肥から捕手の系譜~ウォーレン、ミンチー助っ投の系譜
(46)《有料・冒頭試読》「44」顔に育てた山本功児、井上晴哉の背番号44
(47)《有料・冒頭試読》「45」得津、横田、堀、田村と並ぶ、出世番号の系譜
(48)《有料・冒頭試読》「46」成田文男から続く、主軸投手の系譜
(49)《有料・冒頭試読》「47」打者のチームから投手のチームへ変貌させた300勝投手の背番号47
(50)《有料・冒頭試読》「48」リリーフ左腕、代打、好守、チームを下支えした系譜
(51)《有料・冒頭試読》「49」職人選手の出世番号
(52)《有料・冒頭試読》「50」2人の殿堂入り監督が背負った背番号50
(53)《有料・冒頭試読》「51」東京球場で舞った51、航輝が育てる
(54)《有料・冒頭試読》「52」大沢親分から立川、塀内、そしてマウンドで躍動する52へ
(55)《有料・冒頭試読》「53」ベテラン、コーチの53から捕手の印象付けた2人の捕手
(56)《有料・冒頭試読》「54」2人の殿堂入りコーチから、マウンドで躍動する54へ
(57)《有料・冒頭試読》「55」初代殿堂入りコーチから、技巧派外野手の系譜
(58)《有料・冒頭試読》「56」短命続いた系譜も隠れた出世番号
(59)《有料・冒頭試読》「57」57のイメージ残した佐藤幸彦
(60)《有料・冒頭試読》「58」2人の「毅」が刻んだ58の系譜
(61)《有料・冒頭試読》「59」捕手の系譜から野手、そして投手の系譜へ
(62)《有料・冒頭試読》「60」首脳陣、裏方の背番号から出世番号へ
(63)《有料・冒頭試読》「61」角中勝也が躍動させた背番号61

※参考文献、参考WEBは『プロローグ』から

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2023年シーズンは千葉ロッテマリーンズ74度目のシーズン。 73年間の歴史を振り返りつつ、今シーズ…

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