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オリオンズ(裏)図書室マガジン【月額定額300円】

世に出ている資料の他、手元に眠っている表に出ていない資料に加え、毎日オンズ時代からファンだった父の日記、そして関係者から見聞きした情報(オリオンズメモ(笑))を中心に「ロッテオリ…
【2023年1月から毎日午前8時更新!】 週5本ペースで毎日オリオンズからロッテオリオンズまでの歴…
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#東京

《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜(44)/「42」多彩な系譜オリオンズ~マリーンズは助っ人の系譜】

(写真 左から、25代・2年目を迎える助っ投メルセデス、上)5代・大型内野手として期待された園田喜則、下)9代・外野のバックアップとして活躍した春日昭之介、15代・マリーンズ初の3割30本100打点のフェルナンデス、16代・日本一胴上げ投手陣の柱となったセラフィニ、18代・開幕戦でダルビッシュから同点満塁弾のズレータ) (44)「42」多彩な系譜オリオンズ~マリーンズは助っ人の系譜  オリオンズの時代は主軸とはならなかったものの、裏で支える職人肌的な選手に引き継がれた背番

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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/(43)「41」期待の星から主軸へ、チーム支えた成長の系譜】

(写真 左から、21代・今季から背番号41を背負っているダイクストラ、初代・在籍9年170試合に登板した山根俊英、4代・在籍5年ながら171試合に登板した三平晴樹、17代・背番号41の価値を挙げた小林宏之) (43)「41」期待の星から主軸へ、チーム支えた成長の系譜  背番号41の系譜を辿ると、将来性が期待された多くの投手が引き継がれている。初代は創設年の日本一の主軸山根俊英。4年目に背番号を14に変更して170試合に登板した。以降も期待の新人投手が継いでいく。投手陣を支

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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/(42)「40」多士済々のメンバーが連なる系譜】

(写真 左から、22代・2年目の真勝儀エース西村天裕、初代・一軍登板なかった村田博秀、8代・NPB初のメジャー経験捕手テスタ、15代・投手から野手へ40番最長13年背負った佐藤和史と同じく13年の17代・渡辺正人) (42)「40」多士済々のメンバーが連なる系譜  背番号40の系譜を振り返ると、多士済々のメンバーが連なる。残念ながらチームの主軸となった出世番号とは言えないものの、その時代、時代でチームを支えた名前が続いている。 ----- 現在の背番号「40」 ----

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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/(41)「39」投手・野手から捕手の系譜】

(41)「39」投手・野手から捕手の系譜へ  球団創設時から背番号39は、主軸ではないもののチームを支えた投手、野手が継いでいた。7代のハワイ出身の日系人神谷雅巳は初めて捕手として39を継いだ。以降、オリオンズ時代は里見進、長松純明とブルペンで投手陣を支えた捕手が継ぐ。マリーンズになると福沢洋一、田中雅美、吉田 裕太と控え捕手の系譜として受け継がれた。そして、大下誠一郎には岡大海に次ぐ出世番号として新しい歴史を作って欲しい。 ----- 現在の背番号「39」 -----

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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/(40)「38」強心臓投手と期待の大砲候補の系譜】

(写真 左から、17代・復活期す髙部瑛斗、初代・創設3年目に背負った古泉静彦、9代・二軍で2冠も一軍では1本塁打に終わった川島正幸、10代・ケガに泣いた岡部明一、15代・38番唯一の外国人イ・デウン) (40)「38」強心臓投手と大砲候補の系譜  毎日、大毎時代は細かく引き継がれ、一躍38番が脚光を浴びたのは成重春生だった。1974(S49)年の日本シリーズの大舞台で強心臓ぶりを発揮し、日本一へとチームの流れを変えた。川崎時代以降は将来を期待された若手の強打者に引き継がれ

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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/(39)「37」投手、野手、助っ人、26代の系譜】

(写真 左から、25代・ヒジの故障から復活かける小野郁、7代・不運な事故で選手生命断たれた菅原紀元、14代・37番の出世頭梅沢義勝、17代・ドラ1復活期すもならなかった関清和、24代・野手として37の結果を残した三木亮) (39)「37」投手、野手、助っ人、25代の系譜  背番号37の系譜を振り返る時、悲しい選手がいたことを思い出す。7代の菅原紀元は4年目に奮起して一軍に定着し、4年目に期待された。しかし、練習中に打球が頭部を直撃して手術を受けた。必死のリハビリから二軍で

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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/(38)「36」36から飛躍した三井、サブロー】

(写真 左から、26代・リリーフの軸へ坂本光士郎、初代・2発連続初回先頭打者本塁打リーグ記録の栗木孝幸、10代・36番唯一の表彰新人王の三井雅晴、15代・名前から決まった背番号36サブロー、18代・アジアの本塁打王が入団李承燁) (38)「36」36から飛躍した三井、サブロー  背番号36は空番の期間がほとんどなく、26代(25人)か継いできた系譜になる。投手、野手、助っ人と様々な歴史が垣間見える背番号だ。その背番号36に大きなスポットライトを当てたのが三井雅晴だ。入団2

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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/(36)「34」400勝投手監督から投手の背番号に】

(写真 左から、16代・左腕エースへ期待高野脩汰、4代・ミサイル打線のけん引役八田正、5代・東京球場時代の切り込み隊長池辺巌、6代・400勝投手が監督となり宙を舞う金田正一、13代・左のリリーフとして活躍川井貴志) (36)「34」400勝投手監督から投手の背番号に  背番号34は左腕投手のイメージが強い。それは間違いなく金田正一という大投手のイメージであり、それにあやかろうという理由から投手に与える球団が多かったからだろう。しかし、オリオンズでは、ミサイル打線の切り込み

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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/(37)「35」初代日本一総監督から外野手の出世番号へ】

(写真 左から、22代・将来性期待の田中晴也、初代・初代日本一へ導いた総監督湯浅禎夫、8代・35を出世番号にした弘田澄男、11代・オリオンズ移籍で花開いた庄司智久、18代・マリーンズで35を出世番号にした鈴木大地) (37)「35」初代日本一総監督から外野手の出世番号へ  背番号35の系譜は初代日本一指揮官の湯浅禎夫から始まる。その後は細かく入れ替わるが、出世番号にしたのは弘田澄男だった。内野手で入団したが外野手に転向して背番号を3に変更して日本一打線の切り込み隊長となっ

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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/「33」2人の殿堂入り胴上げ監督の背番号】

(35)「33」2人の殿堂入り胴上げ監督の背番号  オリオンズ&マリーンズ背番号33の系譜を振り返る時、大きな歴史があることに気づかされる。初代は阪神で監督兼投手として活躍し、球団創設時にオリオンズに移籍した若林忠志だ。当時は総監督として湯浅禎夫が指揮官としてチームをまとめ、監督の肩書は現在でいうところのヘッドコーチや指導する主将的な立場だったが、監督兼投手として日本一に輝き、野球殿堂入りも果たした球団史に輝く経歴を持つ。そして、12代として33を背負ったのが山内一弘だ。

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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/(34)「32」主力選手から職人野手の背番号、そして捕手の新しい歴史へ】

(写真 左から、19代・捕手として歴史を刻む佐藤都志也、初代・代打として活躍大館勲夫、3代・大毎投手陣の主力若生智男、8代・新ミサイル打線裏から支えた新井昌則、9代・32番唯一タイトルホルダー西村徳文、16代・俊足巧打の根元俊一) (34)「32」主力選手から職人野手の背番号、そして捕手の新しい歴史へ  背番号32の系譜は職人的野手が連なる系譜だ。初代は代打としてチームを支えた大館勲夫から始まる。その後、投手陣を支える存在となる若生智男が背負うが、以降は岩崎忠義、新井昌則

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【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜(33)/「31」野手の出世番号から投手の背番号へ】

(写真 左から、22代・今季から31を継ぐ大谷輝龍、4代・高卒1年目から活躍した須藤豊、11代&13代・首位打者も獲得した高沢秀昭、19代・歴代31最長は13年の渡辺俊介、21代・育成選手として再スタートを切る菅野剛士) (33)「31」野手の出世番号から投手の背番号へ  オリオンズ時代は野手の背番号だった。ミサイル打線の中核となる葛城隆雄、堅実な守備と打撃の須藤豊、太平洋に移籍して首位打者となった吉岡悟と野手の出世番号だったと言える背番号だった。そして、背番号31を顔と

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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/(32)「30」監督・コーチ・野手の背番号から投手の背番号へ】

(写真 左から、25代・現在背番号30の廣畑敦也、上)初代・NPB初代盗塁王の苅田久徳、下)NPB初代首位打者の中根之、9代・球団史上初の盗塁王西田孝之、17代・いぶし銀の守備を見せた森田芳彦、21代・抑えとして君臨した小林雅英) (32)「30」監督・コーチ・野手の背番号から投手の背番号へ  背番号30の系譜を辿ると、その時代時代で顔となる選手や監督が背負って来た番号である。初代の苅田久徳はNPB創設年からプレーしていた選手で、1936年秋期に初代盗塁王に輝いた選手だっ

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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/(31)「29」サンデー兆治が育て、サンデー晋吾が継いだエースの称号】

(写真 左から、13代・西野勇士、7代・村田兆治、12代・小野晋吾) (31)「29」サンデー兆治が育て、サンデー晋吾が継いだエースの称号  背番号29と言えば、やはり村田兆治が育てた背番号と言えるだろう。球団史上唯一の生え抜き200勝を達成した絶対的エースは、先発、リリーフとフル回転した。そして、ヒジにメスを入れ復活した「サンデー兆治」の姿が印象に残っているオールドファンも多いだろう。  時を超えて2000年、小野晋吾が「サンデー晋吾」としてブレイク、村田のお墨付きを得

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