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オリオンズ(裏)図書室マガジン【月額定額300円】

世に出ている資料の他、手元に眠っている表に出ていない資料に加え、毎日オンズ時代からファンだった父の日記、そして関係者から見聞きした情報(オリオンズメモ(笑))を中心に「ロッテオリ…
【2023年1月から毎日午前8時更新!】 週5本ペースで毎日オリオンズからロッテオリオンズまでの歴…
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2023年8月の記事一覧

《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-31- オリオンズ最後の戦士・堀幸一】

(31)オリオンズ最後の戦士・堀幸一  初芝とともにオリオンズ晩年からマリーンズ初期の打線を支えた堀幸一。派手さはないが、勝負強いバッティングはファンの歓声を浴びる場面も多かった。  堀の勝負強さを物語るデータがある。オリオンズ~マリーンズ73年間の歴史の中で、球団史上最多となるサヨナラ本塁打を5本放った打者が3人いる。一人は大毎オリオンズ時代の4番打者山内一弘、一人は堀とともに打線の主軸を担った助っ人ボーリック、そしてもう一人が堀幸一だ。  21年間の通算安打は182

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《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-30- 抑えの切り札への道・小林雅】

(写真 2005年、日本一を決め、ビールを浴びる小林雅英) (30)抑えの切り札への道・小林雅英  「6日6試合連続セーブ」「17試合連続セーブ」「33試合連続セーブポイント」「7年連続20セーブ」と数々のセーブ記録を樹立したマリーンズの守護神。  1998年ドラフト1位入団。「幕張の防波堤」と呼ばれた抑えの切り札だ。山梨県立都留高校時代は甲子園とは無縁だった。が、日本体育大学時代に首都大学リーグで最優秀投手を獲得するなど頭角を現し、社会人・東京ガスで補強選手に選ばれるな

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《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-29- 愛された背番号6・初芝清】

(写真 2005年9月22日、引退セレモニーでナインの手で胴上げされる初芝清) (29)打線を支え愛された背番号6・初芝清  2005年ソフトバンクとのプレーオフ。4.5ゲーム差だったため(5.0ゲーム差以上で1勝のアドバンテージがルールだった)、1位ソフトバンクにアドバンテージはなく、3勝すればリーグ優勝が決まる決戦だった。  福岡に乗り込み1,2戦に勝利してロッテが王手。しかし3、4戦と敗れてソフトバンクが逆王手。優勝は第5戦に懸かった。しかしロッテ打線がつながらない

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《無料公開》【マリーンズ略史 92~05/-28- 「七夕の歓喜」狂騒曲】

(写真 6回表、一発を放った福浦を迎える山本監督(フジテレビ「プロ野球ニュース」から) (28)18年ぶり首位「七夕の歓喜」狂騒曲  思い出に残っている試合というのは何試合もある。その中に24年が経過してもスタンドの様子も鮮烈に覚えている試合がある。1999年の「七夕首位」に立った試合だ。前年「七夕の悲劇」を目の当たりにしたマリーンズファンにとっては、前年の七夕の夜と対比して「七夕の歓喜」とも呼ばれた試合。七夕の悲劇があったからこそ尚更記憶に残っているのだと思う。結局、こ

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《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-27- 低迷期支えたエース、復帰後は日本一・小宮山悟】

(写真 1998年の鹿児島二次キャンプから。投手陣を引っ張る小宮山悟(左前)、(左から)藤田宗一、河本育之、シェーン・デニス、寺村友和、ジョー・クロフォード) (27)低迷期支えたエース、復帰後リリーフで日本一・小宮山悟  2004年、ロッテへの5年ぶりの復帰が決まった小宮山悟は会見でこう話した。「重光オーナー代行から電話をもらった時、奇跡が起きたと思いました」。かつて、オリオンズ晩年に入団し、マリーンズ初戦の開幕マウンドに上がり、以降、苦しい時期の投手陣を支えた。しかし

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《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-26- ルーキーからフル回転左腕藤田宗一】

(写真 ルーキーイヤー1998年の米ピオリアキャンプでランニングする藤田宗一(中央)、左は薮田安彦、右は同じくルーキー白鳥正樹) (26)ルーキーからフル回転左腕藤田宗一  ルーキーイヤーだった1998年に56試合に登板。以降、翌99年に65試合(リーグ1位)、3年目の2000年に70試合(リーグ1位、当時の球団記録)、4年目の01年に60試合、5年目の022年に50試合と5年連続50試合以上に登板。6年目の03年は左肩痛の影響で26試合の登板に終わったものの05年は62

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《無料》【マリーンズ略史 92~05/-25- オリオンズ~マリーンズ ファンクラブ略史】

(25)オリオンズ~マリーンズ ファンクラブ略史  今回はファンクラブの歴史編。 (22)ユニホーム応援が広がったのはロッテから https://note.com/orions_marines/n/nb0ae73de828e にてマリーンズファンクラブについて触れたが、今回は少し歴史をさかのぼって「ファンクラブ」の歴史をマリーンズ時代だけではなく、オリオンズ時代から振り返り「ファンクラブ募集」の写真とともに改めて簡単に振り返ってみたい。 【東京球場時代からあった「子ども

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《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-24- 福浦二軍成長記】

(写真 1998年ピオリアキャンプ。千葉県出身同期の立川隆史(右)と談笑する福浦) (24)福浦和也の二軍成長記  2002年大晦日、除夜の鐘が響き始める頃、千葉マリンスタジアムにあるトレーニングルームで汗を流す男がいた。本人曰く、恒例の「挙げ初め(あげぞめ)」をカウントダウンとともに行っていた。福浦和也の年越し行事だ。福浦は元日には必ず「挙げ初め」を行っていたが、この年は年越しで実施した。「挙げ納めと挙げ初めを一緒にやってみた」と笑ったが、福浦にとってウェイトトレーニン

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