マガジンのカバー画像

オリオンズ(裏)図書室マガジン【月額定額300円】

世に出ている資料の他、手元に眠っている表に出ていない資料に加え、毎日オンズ時代からファンだった父の日記、そして関係者から見聞きした情報(オリオンズメモ(笑))を中心に「ロッテオリ…
【2023年1月から毎日午前8時更新!】 週5本ペースで毎日オリオンズからロッテオリオンズまでの歴…
¥300 / 月 初月無料
運営しているクリエイター

2022年12月の記事一覧

【全史】第13章 区切りの80年、前期Vへ/1980(昭和55)年

(1)前評判は「打線は上々、投手陣は…」  1980(昭和55)年がやって来た。オリオンズファンにとっては「0」がつく、大切な大切な区切りの年である。今までオリオンズの歴史にお付き合いいただいた方は、お気づきになるだろう。 ・1950(昭和25)年…毎日オリオンズとしてリーグ優勝&日本一 ・1960(昭和35)年…大毎オリオンズとしてリーグ制覇 ・1970(昭和45)年…ロッテオリオンズとしてリーグ制覇 西暦で「0」、元号昭和で「5」の年は、リーグ制覇を果たしているのであ

¥100

【全史】第12章 山内丸の船出、「新ミサイル打線」構築へ/1979(昭和54)年

(1)「かっぱえびせん」本領発揮  「試合を見ていて、手にしているハンバーガーをね、思わず口に入れるのを忘れて、見入ってしまう。そんな野球をファンの皆さんに見て頂きたいんです。そしてね……」。  テレビのインタビューを受けた山内一弘監督。とにかく、話し出したら止まらない。このインタビューを編集した人も大変だったろうな、と思いながらテレビを見た。打撃コーチ時代も選手にアドバイスをし出したら止まらない。そこでついたあだ名が『かっぱえびせん』。そう、「やめられない、止まらない」の

¥100

【全史】第11章 カネやん劇場、幕引きへ…/1978(昭和53)年

(1)本拠地・川崎球場での始動  1978(昭和53)年の主催試合65試合のうち、野球協約の規定である本拠地・川崎球場で33試合を実施し、残りの32試合を横浜と仙台での開催を模索していたオリオンズに対し、横浜市側の大洋への説得もあり、大洋側は「15試合までならば」と妥協した。しかし、日程決定のタイムリミットもあったため、年が明けて松井静郎球団社長の「中途半端なことは避けたい。川崎球場に全面的にお願いしましょう」という決断で川崎球場で56試合、仙台で9試合を行うことが決まった

¥100

【全史】第10章 カネやんが変わった/1977(昭和52)年

(1)明るい材料が少ない低評価  木樽正明と江藤慎一が引退、ドラフトでは上位2選手が入団拒否とオフは重苦しい雰囲気が再び漂った。12月18日に発表されたトレードはクラウンライターライオンズの白仁天外野手、左腕安木祥二投手と、長谷川一夫外野手、倉持明投手のトレードだった。日本ハムを自由契約となった高橋博士捕手、中日を自由契約となった末永吉幸内野手の獲得も発表された。カネやんは一昨年の首位打者で昨年も打率.288、17本塁打、59打点の白に期待を寄せていた。  注目は外国人選

¥100