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どこまでも続く乾きと孤独

舞台「夏の砂の上」を観て

「夏の砂の上」【作】松田正隆 【演出】栗山民也
【出演】田中圭 西田尚美 山田杏奈 尾上寛之
    松岡依都美 粕谷吉洋 深谷美歩 三村和敬2022.11.8. 19:00 / 11.9. 14:00 (私の鑑賞日)
 世田谷パブリックシアター
2022.11.27. 12:00. 16:00(同)
 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
2022.12.24.〜12.30.
 PIA LIVE STREAM配信

(昨年、初めて田中圭さん出演の舞台を観劇した際に感想を記したので、その流れで今回の舞台も忘備録的なものを書きました。)

「夏の砂の上」
 この作品、公演ごとに印象が変わる深みのある脚本。その場その場で生み出される役者さん達の掛け合い、ふと見せる表情、少ない台詞とたくさんの間、どれも少し変化するだけで、登場人物達の裏に蠢めく感情が見えたり見えなかったり、、、
たくさん想像を膨らませることの出来る、その分感想となると言葉に表しにくい、そんな骨太な作品。
好きです。圭さん、こんな作品に関わって欲しかったの。
 実際に舞台を初めて観た時は、想像以上に手強い作品だなと思いました。でもその後何度か観る事ができ、特に地方公演では何かひとつの完成されたものをさらに深めていっている、そんな凄さを体感した気がします。
田中圭さんを応援するものとしては、圭さん演ずる主人公小浦治に幸せや希望がもたらせれる事を願うべきなのでしょうが、作品を観た正直な感想は、

「この救いの無さが良い」でした。

以下、感想というか感じた事をつらつらと、、

 主人公小浦治の全てに諦めたような姿、覇気もなく自ら動く事を拒むようでもある。それはもとからではなく、子どもの死、失業、妻が家を出る、というたび重なる不幸に、生真面目な心がこれ以上の変化を受け付けなくなってしまったかの様だ。
 対する妻の恵子や、妻の浮気相手で治のかつての同僚だった陣野からは、自分の身に何か起きても先へ進める要領の良さを感じる。
 陣野は面倒見も良いが自身も無職のままだったり、治に失った造船所の仕事にこだわり続けるのは情け無い事だと言いながら、結局自分も新たな造船の仕事に着き街を去る事になる。
対する治は、長く続く断水さえ訴えることもなく、ひたすらあの古びた畳の家から動き出そうとしない。
 治の頑なで不器用な生き方に付き合う事が、妻の恵子にはもう耐えられなかったのだろうか。
さらに恵子は治の妹阿佐子の生き方に嫌悪感があったのではとも思った。娘の優子を大事にせず自分と自分の男の都合で振り回す母親である阿佐子。しかし治と恵子の絆であった大切な子どもは死んで、優子は生きている(ひよこの回想をわざわざ優子に語るのは、どこか阿佐子への憎しみを感じる)
しかしその恵子も、子を失いすっかり錆びれはてた造船所の景色に気づいた時、自分も夫をすてて別の男性と一緒になることを選ぶ。

 治の不器用さに近い人物として印象に残ったのは、造船所の先輩、持田である。
妻子を養うためにも再就職しタクシー運転手となるが、長年造船所の工員であった自分を簡単には変えられない。夜中働いても朝から寝ることが出来ず増していく疲労、職に馴染めない孤独感は元の職場の人に祝ってもらった夜のはしゃぎ方に見てとれる。再就職後初めて安心して眠れる夜だったが、ローラーから鉄板がどんどん迫ってくるという悪夢にうなされる。持田の突然の死は事故となっているが、新たな環境に馴染めず急き立てられた孤独感が産んだ死とも考えられる。
 優子もまた孤独とあきらめの中にいる。奔放な母に振り回されるうち、望みを持つ事も諦めてしまった。バイト先の大学生立山との関係も投げやりだ。立山を相手に気まぐれに会話する優子の話の中に彼女の孤独が見え隠れする。突然はじめた中学の唯一の友人の話では、クラリネットで曲を演奏してくれた友人の水筒の中身を飲み干してしまう。
「きれいな音楽を聴くと喉が渇く」という台詞に象徴されるように、幸せや前向きさに接すると、自身の孤独感が増すのだろうか。
 
 この作品で幾度となく連想させられる「渇き」は
人の孤独の象徴なのではないだろうか。
優子の友人は渇きを癒す水を惜しみなく分けてくれた。たとえその顔を忘れても、友情が対等なものでなかったとしても、水を分けてくれる人の存在は大きい。
 治は街から出てゆく恵子に、自分達の子どもは「本当におったとやろか」と告げる。子どもの存在というより夫婦間の愛情があったのか?という問いにも感じる。恵子の「ほっとしている」という言葉に傷ついたのだろうか。忘れようにも「忘れるものがない」内に内に深く入り込んで感情を失ってしまいたい、機械になってしまいたい。
 治と優子、深い孤独を抱える者同士が、その深みに拍車をかけるように独白するシーンは、いままで平凡な人々の日常の営みを描いてきた所から、急に幻想的な異界に入り込んだような緊張感を感じた。
どこまでも続くトンネルのオレンジの光
造船所となんら変わらない機械となった自分、
二人の思考を断ち切ろうとするかのような電話のベル(電話のベルははこの家と外界との繋がり?)の音も、もう二人には届かない。
しかし唯一孤独を癒す水の音、雨音が耳に届くのだ。雨水をため同じタライで飲みあった治と優子は、孤独とそれを癒す水で繋がった。
 治もまた渇きを癒す水の味を知るのだが、優子への内面の距離は近くなっても、表立って態度には出さない。新しい職場であやまって包丁で指を切り落とすという悲惨な事故にあったが、どこか人ごとのようである。指を失いますます職につきにくくなるだろうに、それを後悔する素振りはなく淡々と受け入れるのは、錆びついていく潰れた造船所のように、自分も朽ちていく機械のような存在と思っているからだろうか。
 阿佐子が迎えに来て優子は治の家を去る。優子の言う遠い所とは、ひとつ所に住む事のない彷徨い続ける人生を予感しているのか。孤独を分かち会えた伯父ともう会うことはないという事なのか。
治と優子、彼らは孤独を恐れないのだろうか。
自分の人生が何かを形作ることの出来ない砂のようのように不確かだと、諦めるしかないのだろうか。

 ラストシーンの光に希望は感じなかった。
光にかざした包帯の巻かれた手は、閃光に焼かれ失われた街のように、光と渇きに朽ち果てる機械の心の様だと思った。

…感想難しい、感想にならないわ。
以下キャストの皆さまについて

西田尚美さん…恵子という役を憎めないチャーミングさで演じていて、それが逆にリアリティがありました!
山田杏奈さん…初舞台を目撃出来て幸せでした。優子のアンニュイな魅力に引き寄せられた。
松岡依都美さん…マシンガントーク炸裂で、作品の中にさざなみを起こす重要人物でした。素敵。
粕谷吉洋さん…愛すべき持田さんでした。愛らしく悲しい。
尾上寛之さん…人当たり良く面倒見良い人の持つズルさ、すごく上手かったです。
三村和敬さん…間の取り方が絶妙。みんなに翻弄される役を巧くこなしている!
深谷美歩さん…エキセントリックな妻の登場、観ててものすごく緊迫感感じました。面白かった。

田中圭さん…の演技を語るにはいつも言葉が見つからないのです。全て好きです。
治という人物を、少ない台詞、表情、間合いで余す所なく生きている圭さんだけど、ひとつだけ障害となるならば、もう何と言っても佇まいの良さ。
役に備えて身体を鍛える事をやめたとはいえ、照明を浴びて白く発光する肉体はちょっと落ち着かなさを覚える美しさだった、、、
それから、煙草を吸う時のスモーカー特有の所作、煙を吸い込む時に眉をしかめ、放心した顔で吐き出す、、もう色気しかありませんよ!!!!!
煙草を持つ指のしなやかさ、、、
いかん!生で見るものではない!(配信で見てもいかんかった!w)
圭さんが悪い訳ではないのですが、作品世界に没入するためには、そこの所と治を切り離す脳内作業が大変な事になっていた事は確かです。 

こんなに繰り返し舞台を観る経験が初めてで、でもちっとも飽きがこないのは、作品自体の力に素晴らしいキャストの力が加わって、静かなのにパワーに溢れた舞台だからなのかな。
2022年ももうすぐ終わるけれど、今年この舞台を観られた事は本当に幸せでした。      終!

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