明日、新しい元号の発表へ。今何を想いますか。
徒然なるままに。雑記です。
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小さい頃は明治、大正、昭和を生きてきたおじいちゃん、おばあちゃんをスゴイ!と思ったものだ。そこに何となく「生命力」や「逞しさ」を感じたからだろう。
そして私も昭和、平成、更に三つ目の元号を生きようとしている。三つの元号を生きることは、個人の生命力や逞しさとはあまり関係の無いことだった(笑)。
平成元年という節目の年に社会人になった。だからそれを境に記憶が2つにグループ分けされている。昭和イコール幼少時代・学生時代、平成イコール社会人時代といった具合だ。
では平成とはどのような30年間だったのか。
私にとっては昭和のときに気づいた低い自己概念、そして自分へのどうしようもない絶望感。それを少しでも高めよう、埋めようと決心し、必死にもがいてきた30年間だったように思う。
そして今になってやっと、自分を味方につけなければ、この世の中では闘って行けないということが実感値としてわかってきた(それが完全に実行できているわけではないが)。これでやっとスタートラインに立てる、といった感覚だ。
かと言って手元には何もない。青いことを言うようだが、武器は自分とビジョンへの熱量、これからの時代に役に立つ保証のない暗黙知を詰め込んだ、穴だらけの大きな袋。
あとは想像を遥かに超える新しい時代の到来を信じ、何より自分自身を信じ、確実性、安全性を求める奴らを尻目に、大空へダイブする勇気を武器にするのだ!
その人が成功するか失敗するかを100%当てることは誰にも出来ない。そもそも人生は予測不能なのだ。だからこそ未来を創るために、今できる目の前のことに熱中し、仮説検証を繰り返しながら圧倒的量を積み上げるのだ。
今ここを起点に生き直そう、これからは控えめな心の声にもっと耳を傾けながら。
私はいま自分へのリベンジというラストランを迎えようとしている。スタジアムの大歓声の中、今ゆっくりとスタートラインへ向かっている、100m決勝のように。
昭和、平成のすべてをパワーに。
いま生き直し、スタートのとき。そのようなことを考えている。
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