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あの日の思い出は琥珀色を纏って

先日友人からハチミツを頂いた。

丁度私の両手に収まるくらいの瓶いっぱいに入った琥珀色に目を奪われる。顔を寄せるとフワッと花の香りがして、今が冬にもかかわらずあたりが一気に春へと変わった。


ふと母方の祖父を思い出した。


祖父は山を所有しミカンを育てていた。
小さい頃はいつも母に連れられ、祖父の山に来ていた。

山にはなんでもあった。
春になるとワラビやゼンマイが生い茂り、夏には青々とした野菜が実り、スイカは地面を所狭しにゴロゴロしている。秋になると栗が一面に落ちていて、冬はミカンやデコポンのオレンジが鮮やかだった。

そんな祖父も一時期養蜂をしており、蜂の巣箱をいくつか所有していた。
私は巣箱に耳を当て蜂の羽音を聞くのが好きだった。

いつものように母に連れられ山へ来て遊んでいると、何やら空が騒がしい。
あちこち蜂が飛び回っているのだ。行き場を失って混乱しているようだった。小屋の軒下に蜂が塊になっていたので、これは様子がおかしいと思った私は祖父に状況を伝えた。

すると祖父はそれなりに装備をした後、蜂の塊を掴み上げ木の箱へそっと入れた。その木の箱を石の台座へ置き固定しそして、マジックで木の箱へでかでかと「えりこのはち」と書いた。

私が見つけたのは「分蜂(ぶんぽう)」した蜂たちだった。分蜂とは、ミツバチが新しい巣を作るために群れを分ける現象のこと。巣が手狭になると、古い女王蜂が働きバチの一部を引き連れ、新しい巣を構築するために移動するのだという。

たまたま蜂の大移動の瞬間を私が発見したので、祖父はその巣箱に私の名前を書いたのだ。分蜂はなかなか珍しく、蜂の塊の状態ですぐに捕獲しないと新しい巣箱に住み着いてくれないらしい。小学生にして蜂たちの新居所有者となったことに私はとても誇らしく、そして新しい家を見つけた蜂たちのことが愛おしく思えた。

それ以降、山へ来るたびに私は自分の蜂たちの働きっぷりを確認するかのように巣箱へ耳を寄せた。

今では祖父も、あの蜂たちもいなくなってしまった。それでも、こうして心の中で生き続けているのだと思うと、じんわりと胸が温かくなる。

忘れる前に、こうして書き留められてよかった。記憶を遡りながら、その時の情景を写真や映像のように思い浮かべ、そこから感情を手繰り寄せて文章にしていくこの作業。もちろんプロではないので、言葉に詰まることもしばしばある。それでも、この作業が純粋に好きなんだと、初めて実感した。

これからも引き続き、こうして様々な出来事や想いを書き連ねていこうと思う。


今日は少し短い文章だったがたまには良いだろう。
ではみなさまこの辺で。サラダバー!




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