偽りの直毛に別れを
「私らしく生きる」とは何だろう。
会社でバリバリと仕事をすること。
お気に入りのファッションを着こなすこと
自分の趣味を全力で楽しむこと。
落ち着く部屋でゆっくりと過ごすこと。
どれも正解だと思う。
でもその正解はうつろいでゆくものであり、人生のステージで大きく変化することを私は知った。
本日は少し長めの記事になるので、目次を入れてみる。
一気に読むも良し。
一項目ずつ読むも良し。
是非あなたのスタイルに合わせて読んで頂ければ嬉しい。
「私らしく生きる」に悩むすべての人へ届いて欲しい。
初めまして。 くせ毛です。
私の髪はくせ毛だ。くせ毛といえば少し前髪や後頭部がうねって扱いづらい…そんな風に想像するかもしれないが、そんな可愛らしいものではない。
見事にクルクルなのである。いわゆる天然パーマである。
毛量も少なく、柔らかくて扱いやすいならまだしも、多毛、剛毛を仲間に加えた三重苦の髪質なのだ。
母曰く、幼少期は髪も柔らかくクルクルのくせ毛だったため、どこか良いところのお嬢さんみたいだったと言う。そんな母も最近では朝の私の爆発した髪型を見て「どこかの外国の民族の方?」と本気とからかいの狭間ぐらいトーンで言ってくるので酷いもんだ。帰省時にしか見ないからか、盛大に爆発した髪をしげしげと眺めてくる母の様子に私は何か珍しい生き物にでもなったみたいで笑えてくる。
まっすぐな髪への憧れ
3歳ごろまではクルクルではあったが髪も伸ばし可愛らしい少女であった。しかし、妹が生まれる時期に伯母に預けられていた私はバッサリ髪をカットされショートカットにされていた。知らぬ間に我が子が少女から少年になっていたのだ。これには流石の母も驚いたらしい。
持ち前のくせ毛も相まって、ショートカットになって以降、男の子と間違われる回数が格段に増えた。しかし、特にそれに関しては嫌では無かった。この髪型が楽だったのは事実であると同時に、私にとってはこれが普通であり、駄々を捏ねたとしても変える事もできないものだと分かっていたからだ。
そう。この私の常識を変えるような技術を知るまでは。
ストレートパーマだ。
どんなくせ毛も見事なストレートに変える魔法の様なこの技術を知った途端、今までの私の中の常識は覆された。「ストレートの髪型に憧れは無かった」といえば嘘だ。なれるものならツヤツヤ、サラサラの髪になりたい。それが叶うと知ると夢見るものに近づきたくなるのは、私がまだ乙女の心をしかと握りしめて離さなかったからだろう。
中学へ上がる前、初めてストレートパーマをあてた時の感動は今でも覚えている。12歳の春。ここから私は実に22年間もの間、偽りの直毛と共に歩むこととなった。
髪にかけた情熱は いつしか形を変えてゆく
ストレートになった髪は誇らしかった。
サラサラで寝癖もつきにくく私の日常をガラリと変えた。オシャレも楽しめるようになったし、髪を伸ばしてコテで巻く練習もした。
が、いくら髪がストレートになっても生えてくる髪はくせ毛なのだ。髪自体の重みで多少くせ毛は緩和されているものの、ストレートの割合が多いと根本が気になる。
最低でも3ヶ月に1回はストレートを当てる必要があった。社会人になってからはカラーも頻繁にしていたため、余計に髪へかかる費用も増えていった。それでも理想の自分を追い求めて、ストレートをあて続けていた。
私が心の変化に気づいたのは息子を出産した時だった。あれだけ髪にこだわっていたのに、子どもを出産してから優先順位がまるで変わってしまったのだ。私の日常でトップ3には入っていた髪のことなどランク外だ。しかも下から数えた方が早い位置にいるのだ。ストレートを当てる頻度はだんだんと伸びていき、最終的に半年に1度までに減った。根本が気になり出したら髪をまとめアップスタイルで誤魔化す日々を送った。
コンプレックスにお別れを
そんな生活を7年間ほど続けたある日、何気なくインスタグラムを眺めていると1本のリール動画に目が止まった。それは自分のくせ毛を活かしてヘアスタイル自由に楽しんでいるものだった。
私は雷に打たれたような衝撃が走る。
今までくせ毛はストレートパーマをあてなければ、オシャレは出来ないと思っていた自分の固定概念が覆された瞬間だった。くせ毛であることをポジティブに捉える その姿はキラキラと輝いていた。
鏡の前でだいぶ伸びた自分のくせ毛な根元見て決意。
ストレートな髪とお別れしよう…と。
何でも最初が肝心と言わんばかりに くせ毛を専門的にカットしてくれるお店を探した。なんせ くせ毛、剛毛、多毛の三重苦の髪質だ。美容師さん泣かせなこの髪質と向き合ってカットしてくれる人はなかなか近くに居ない。この人なら!と思える人を見つけた時には1年と6ヶ月経っており、しっかりと地毛を伸ばして、意気揚々と大阪のサロンまでヘアカットへ向かった。
再会は夢のようで
ザクザクとカットされてゆく髪。
不安と期待が入り交じる中、生まれ変わる事にドキドキしながらその瞬間を待つ。
全てが終了した時、鏡の前には別人が座っていた。パーマをあてましたか?と言われそうなくらい見事なウェーブだ。これが天然パーマなのだと驚きを隠せなかった。
22年振りの地毛は、「久しぶり!元気だった?」とでも言わんばかりにくるくるだ。くるくるなのだがちゃんとヘアスタイルになっているのは美容師さんの腕が抜群に良いためである。
正直こんなにも素敵に生まれ変わるとは思って無かった。失敗したらまたストレートに戻せば良いだろうとさえ思っていた。
地毛との再会は幸せいっぱいであった。勇気を出して変わろうと思えた自分を存分に褒めたい。
美容室を出て歩き出す。
街角のショーウィンドウに揺れる自分の姿をふと見つめて、もうストレートパーマをかけなくてもいいんだという開放感と共に笑顔がこぼれ落ちた。
「私らしさ」を考える
くるくるになって帰ると、友人や知人、保育園の先生にまで案の定パーマを当てたと思われた。
「パーマ似合いますね!」
いろんな方々から口々に言われた。
もうそれが私にとっての最高の褒め言葉だった。コンプレックスだったくせ毛が素敵なパーマとなり、みんなから驚き、賞賛される日が来るとは微塵も思っていなかった。
そのままの自分を受け入れてもらえた気がして嬉しかった。くせ毛を隠すのではなく、むしろ個性として輝かせることができたのだと実感した。
あの時は確かにストレートヘアの自分が正解だった。しかし年齢や環境の変化によって、徐々に私の中の正解が変化したのだ。「私らしさ」からかけ離れているという違和感に気がつき、それを修正する一歩を踏み出したからこそ手に入れた新しい正解。
「私らしく生きる」とは、変化を受け入れ、自分の気持ちに正直でいることだと思う。毎日の選択や行動が私自身を作っているからこそ、今の自分を大切にし、これからも新しい発見や成長を楽しみたい。
正解は常に変わりゆくものであり、もしかすると一つではないかもしれない。それこそが人生の醍醐味であり、これからの道を歩む中で見つける新たな発見が、私をより豊かな人間にしてくれると信じている。
本日はちょっと長めのエピソードで読むのに疲れた方もいたかと思う。ここまで読んでくれた皆様には感謝しかない。このエピソードは今年5月のもので、私の生き方を変えてくれた大きな大きな出来事だった。
同じような髪質で悩んでいる人はもちろん、私らしさに悩んでいる人にも届けばいいと切実に思っている。
これからもnoteは悩みを抱えた人たちの拠り所となり、光となり、道標となりうる場所であってほしいと願ってやまない。
それでは今日はこの辺で。サラダバー!