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料理下手の旦那に贈る称号は

昨日から旦那がお雑煮作りにチャレンジしている。息子のバスケの練習で昼から夕方かけて忙しい私に代わってお雑煮を作って待っていてくれたのだ。


感動で涙が出そうになった。


旦那は普段、料理をまったくしない。作れるものといえば、せいぜいウィンナーを焼いたり卵焼きを作ったり、あとは料理初心者お馴染みのカップ麺くらいだ。

そんな彼がお雑煮を作って待っていてくれるなんて。
天と地がひっくり返るような衝撃が走った。


家に着くなり、熱々のお雑煮をテーブルへ並べてくれる。お気に入りのエプロンと三角巾とつけた娘が横でニコニコと満面の笑みを浮かべている。見ればやたら具材の大きいものがゴロゴロしている。娘が切ってくれたのであろう。

一口啜るとふわりとした出汁と醤油の香りが鼻にぬけ、口いっぱいに優しい味が広がる。旦那と娘の一生懸命な姿も相まって、どんな名店の料理にも負けない絶品料理だった。


実は旦那、他の家事はピカイチなくせに、料理だけは苦手らしい。過去に「どうして料理をしないのか」と聞いたことがある。そのときの返事はこうだった。

「やろうと思えばできると思う。でも、得意な人がやったほうが断然効率がいいよね。」

いかにも効率重視の会社員らしい発想だ。自分ができないことを棚に上げて、効率という大義名分で片付けてしまうのだ。

いやいや。「言い訳せずにやる気出してやってみなさいよ」と言いたいところなのだが、大々的にそれを口出しできない理由が私にはある。

逆に私は料理以外の家事が苦手なのである。


洗濯物を干す、畳む、お皿洗い…などなど、普段のルーティン化された家事を主に行っているのは旦那なのだ。明確に家事の分担は「していない」と言より「しなかった」。過去に一度分担をしようと旦那に持ちかけたのだが、それをすると絶対にお互いの粗探しばかりするから止めようという理由で反対され「しなかった」のだ。


私たちにとって、これが正解だった。


もちろん最初は家事のことでギクシャクすることもあったが、今では「できる人ができることをする」という精神で、夫婦でバランスよく動けるようになった。時には1日の家事のバランスが崩れることもあるが、別の日にカバーするなどして、うまくやりくりできていると思う。

昨日はその良い例だ。午後から息子のバスケに付き添い、疲労困憊の私は、帰る頃にはHPがほぼゼロ。家にたどり着いた時には、家事をする気力など微塵も残っていなかった。そんな私の状態を察したのか、娘とお留守番をしていた旦那は、自分にできることを考え、動いてくれた。そして私はというと、今朝しっかり動いて、部屋の片付けや洗濯、食事の準備をせっせと片付けた。

こうやって1日の数あるミッションを、お互いの動きを見ながらフォローし合い、無事コンプリートしていく日々。旦那には、すでに与えられている「愛しき人」という称号に加え、「良き相棒」という肩書きもこの際に贈っておきたいと思う。


「目配り」「気配り」「心配り」と言う言葉ある。

周囲の状況や状態を敏感に察知する「目配り」。相手が今何をして欲しいのか考え行動する「気配り」。そして、相手の気持ちを想像して心に寄り添い行動する「心配り」。


夫婦はこれができれば、大抵うまくいくものだと私は思う。もちろん、人間である以上、さまざまな事情からそのバランスが崩れることもある。しかし、そうした時も含めて、お互いに寄り添い、助け合いながら歩んでいくのが夫婦という関係なのだろう。

夫婦の在り方は千差万別だ。その形はお互いの性格や家事スキルの違いによっても異なるし、置かれた環境や人生のステージによっても変化していくものだと私は思う。だからこそ、私たちのやり方が必ずしも正解だとは限らない。ただ、夫婦としてより良い形を一緒に模索し続けることが大切だ。

そんなことを考えながら、冷え切った体を絶品のお雑煮でじんわりと温めた。


それでは皆さま。今日はこの辺で。サラダバー!




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