【暇③】なぜかセパタクローは北海道に群生している。
イントロ
昨日は眠くて、なぜ北大に三つもセパタクローサークルがあるのか書く前に力尽きました。ということで本題です。今日書く話、今北海道でセパタクローをしている大学生は案外知らないと思います。実際、僕がセパタクローしてた時、周りの人達特に気にも留めてなかったので。
この記事に辿り着いた読者の皆さん。コングラチュレーション!今日、誰も知らない北大セパタクローサークルの秘密、あなただけに教えちゃいます。
「、、、いや、要らんわ(^^;)」
それでは参りましょう。「SEPAK WARS」スタートです。
エピソード1:鹿の誕生
遠い昔、遥か彼方北の大地で____
鹿のマークを冠したセパタクローチームが誕生しました。誰も知らない超マイナースポーツを、日本の最北端で始めようという方々です。それはそれはやる気満々、セパタクローを極めんと日夜部活並みに練習を重ねました。
数年後、パイオニアたちの活躍にセパタクローの目新しさもあって、少しづつサークルは拡大。気づけば全体50人を超えるサークルにまでなっていました。しかし、50人も集まれば色々あります。色々な人がいます。パイオニアたち同様、セパタクローに大学生活を捧げるものもいれば、テニサーよろしく、気の向くままにたまにしか練習に来ないメンバーも多くなっていました。
今もそうなのですが、セパタクローサークルは北大の体育館ではなく、近隣の小中学校の夜間開放、それも体育館の半面を借りて練習していました。半面なので全員揃うと非常に狭いです。狭いということは、出来る練習も限られます。コートを使ってゲーム形式の練習をしようものなら、同時に練習できるのはせいぜい12人∼18人です。当然、自分がコートに入っていられる時間は短くなります。、、、そう、昔は少人数でみっちりガッツリ練習できていたのに。
エピソード2:技名の反逆
なぜだ、なぜ俺たちは、たまにしか来ない、やる気のない奴らにコートを明け渡し、貴重な練習時間を捨てなければならないのか!このままでは北大セパタクローが落ちぶれてしまう。このままではいけない。俺たちは、何としてもパイオニアたちのように日夜厳しい鍛錬をこなし、セパタクローを極めるのだ。May the Sepak be with you!
果たして、やる気勢が鹿チームを脱退し、タイの乗り物みたいな、セパタクローの技名を由来とするチームを結成。独自に練習場所を確保し活動を開始した。その練習への熱意や凄まじく、あっという間に道内で一番強いセパサークルへと成長していきました。
方向性の違いから内部分裂の末できた2チーム。顔を合わせればいがみ合うほどの仲ではないとはいえ、やはりどこか溝があり、他大のチームからは敵対関係にあると思われることもあったようです。
長くなりそうなので一旦ここまで。暇過ぎて続きが気になる方はコチラへ。
オリモタ 4/5
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