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担当さんと私が作った幻の傑作 後編

前回までのあらすじ:私達の幻の傑作は、ついに完成した。

全てが収束した願いの結晶は、どんな人に読まれるだろう。
大人になってから、あれだけの高揚感を得たのは、いつ以来だったか。
しかし、降って湧いたように影は落ちた。
全てが終息したその時の自分は、どんな風に世界を見るだろう。
大人になってから、あれだけの喪失感を感じたのは、いつ以来だったか。

🔙前回の記事はこちら🔙

※このお話は内容のほとんどをノンフィクションで綴ったものです。
関係者の方々への詮索、特定、その他ご迷惑となる行為はおやめ下さい。
また、ここに書き綴ったものの本質は、私とご縁のあったとある男性の名誉と沽券を守るためのものであることを明記しておきます。
記載事項以外で、内容に関する詳細な質問等にはお答えしかねます。
万が一、ご用件がある場合には、私ひよこ師範への連絡をお願い致します。
Twitter:@piyopiyo_sihan

👇この記事のお品書き👇


いつも夫がお世話になっておりました。

そう言われた時の違和感は、今でも耳に残っている。

出勤途中の私のスマホに、担当さんの携帯から連絡が入った。

いつも通話をする時は、きまって事前にメッセージが来ていた。
私の記憶が正しければ、いきなり通話が飛んできたのはこの時が初めてだった気がする。

しかも、時間は朝の8時15分。
出勤中の電車に揺られていた時のことだった。
こんな時間にどうしたというのだろうか。

着信を切ってメッセージを送るのは簡単だが、この時間にいきなりの電話連絡である。何か急用があるのかもしれない。

少し迷ったが、とりあえず出ることにした。

「あ、お疲れ様です。すみません、今電車の中で…。もし可能ならメッセージとかでも大丈夫そうですか?」

そう言った私に返答したのは、全く聞き覚えのない女性の声だった。

「すみません。私、○○(担当さんの名前)の妻です。いつも夫がお世話になっておりました」

「あ、えっと、奥様ですか?あの、いつもお世話になっております」

どうやら、電話口は担当さんの奥様らしい。
落ち着いた声、だが、それにしては言葉の歯切れが良すぎる。
緊張を抑えた、落ち着こうとしている声だった。

唐突だったので、思わず普通の声量で話してしまったが、電車内で通話をし続けるのはマナー違反だ。
ちょうど次の駅に着いたので、とりあえず降りることにした。

「すみません、ちょっと出勤中で電車に乗ってまして…。あ、今降りたので、大丈夫なんですけど、どうかされました?」

担当さんに奥様がいらっしゃるのは聞いていたが、実際に話したのはこれが初めてだ。

「お忙しいところすみません。夫のことで、お伝えしなければ、ならないことがありまして。☆☆(私の作家名。以下ひよこ)さんにお伝えするのが、私で良いのかとも、思ったんですけど…」

言葉を選んでいるのだろうか。今度は一転して歯切れの悪さを含んだ言い方だ。
何かを堪えるような、抑えるような息遣い。
急な知らせ。家族からの連絡。私個人への要件。
頭で連鎖して狭まる可能性。嫌な汗が背中に浮かぶのが分かった。

「実は、先ほど夫が自室で亡くなっていまして、ひよこさんには生前お世話になっていたと聞いていたので、なるべく早めに、ご連絡差し上げた方が良いかと思ったので、連絡した次第なんですけども…」

キン、と背中全体が冷たくなる。

背筋を伝っていた不快な汗が、麻酔のように感覚を奪っていった。
遠くなった感覚を手探りで探し当てて、私はどうにか、うわごとのように、息を吐き出した。

「え?…は?あの、何を…。どういう、ことっすか?」

理解が追い付かなかった。というより、日本語を正しく認識できなかった。

いや、本当に本当に正確な表現をするのなら、頭の中で組み立てられた日本語を認識することを、私は拒否した。


拒否、したかった。


過去になっていくだけだから、大丈夫

そう言ったのは、誰だっただろうか。
大切な言葉だったはずだが、今だけは信じる気になれない。

「え、その、いなくなった、とかじゃなくて…ですか?亡くなった、ですか?」

ああ、嫌になる。なまじ普段から言葉に耽溺(たんでき)しているだけに、認識した文脈が聞き間違いをしたという希望的観測をへし折ってくる。
それでも、私は聞かずにいられなかった。

「はい、いつもの時間になっても起きてこなかったので、部屋に、その、起こしに行ったら…」

奥さんの声が、不意に歪んだ。はなから疑ってなどいないが、演技などでは出せない感情の不規則な揺らぎが混じった声。
それでも、それでも私は止められなかった。

「亡くなったっていうのは、あれですか?いわゆる訃報とか、逝去とか、あとは永眠とか他界とか、その、そういうやつってことで、えっと、合ってますか?」

今、自分でこれを書いていて不思議な話だが、本当にこう言った記憶がある。

疑いたかった。疑いたくもなる。なんでだ。違うと言ってほしかった。どうすればよかった。信じられない。信じたくない。信じられるわけがない。どうしてなんだ。聞き間違いじゃないのか。絶対に違う。嘘だろう。事実に決まってる。何かの間違いで、あってくれ。

だって、先週あれだけ…。

あれだけ、一緒に。


喜んでくれたのに。


喜んでくれて、いたのに。



「いたのに」



普段当たり前のように使う過去形の表現が、とてつもなく残酷に思えた。

いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!!!!!!

その言葉が浮上、もとい頭で認識した時には、私は湧いて出て来た内情に任せて自分の言葉を矢継ぎ早に被せていた。
奥さんが何か言っていたが、それを跳ね付けるように遮った。

「その亡くなっ…たって、言うのは!いや、ですから、あれなんですよね?だから、あれ、なんだっけな。この世から旅立たれたと、そういう意味での、ですよね?」

認めなくなかった。本当に認めたくなかった。

これで何度目の確認だっただろうか。本当はもう少し多くて、もう少し時間が掛かっていたのかもしれない。やり取りも多かったかもしれない。
相手の言葉を聞く態度を微塵も見せられなかった私に、奥さんは少し冷静になったのか、努めて冷静に、事実だけを告げた。

「はい、その亡くなったで、合ってます」

あまりにも、あまりにも重い言葉に目眩がした。

混雑する駅で立ち竦む私は、さぞかし邪魔だっただろう。
人波の中に立っているのは何となく分かったが、足が動かない。

「そう…ですよね?そうなんですよね?つまりは、永眠というか、他界というか、その○○さん…じゃなくて、旦那様は既に…」

「はい、先程警察に来て頂いて、一応病院で検査してもらう形にはなってるので、これから私も行くんですが、救急隊の方に伺ったら、いわゆる、し、死亡判定というのは現状できないけど、恐らくは…その、む、難しいのではないかと、仰られて…」

奥さんの声が再び詰まり、そして歪んだ。当たり前だ。無理もない。

…いや、そもそも私は一体何をやっているんだ。

そこで私は、ようやく我に返った。

「すみません、少しお待ちください」

ミュートボタンを押して、スマホを耳から離す。
そしてハンカチを取り出して、全身から噴き出した汗を拭っていく。
襟元、首、背中、右耳の周り。そして、スマホも。

大きく深呼吸を数回。
行きかう人の香水やワックス、洗濯したスーツの匂い。
入ってきた電車が起こした突風もまとめて吸い込んで、ミュートにしたままのスマホに目を落とした。

吸い込んで膨らんだ肩を通して、心臓の音だけが空しく聞こえた。
激しくもなく、乱れることもなく、私の心臓は、ただ淡々と脈打っていた。

担当さんの中に、この音は鳴っていないのだ、と何となく思った。

戻らなければ。これは現実なのだから。

通話の時間は、今も進み続けている。
目の前が滲みかけたが、汗だらけのハンカチで強引に拭った。

奥さんを待たせたままだ。確かに混乱はした。

しかし、1番つらいのは、自分じゃない。

そう思うと、頭が冷えた。

息を吐いた。

「すみません、大変お待たせいたしました」

さっきよりは冷静になれているだろうか。

「いいえ、こちらこそ、朝のお忙しい時にすみません」

「あの、つかぬことを伺いますが、というか聞いて良いものか分かりかねますが、○○さんは、部屋で亡くなられていたと仰ってましたよね?」

言いながら、私は思い出す。確かに最近疲れている様子ではあった。
打ち合わせの時に、頻繁に目元を抑えていたので、少し心配していた。
だが、そこまで深刻に話した覚えもない。

「どうしたんですか?疲れ目ってやつですか?」
「いやね、最近あんまり寝れなくてね」
「私もなんですよね。健康診断とか受けたら、今の私は絶対やばい」
「実はこれでもね、こないだの健康診断は大丈夫だったんだよね」
「うわ、逃げ切りのドヤ顔だ~。勝ち誇ってるわ~」

いつものように、こんな会話を2人で笑いながらするくらいだった。
命に関わるほど重い病気があったり、身体が病弱だという話は聞いたことがなかった。

「それっていうのは、どこか悪かったんでしょうか?何かご病気があったりしたんですか?」

奥さんは言い淀むこともなく、すぐに答えた。

「自殺です」


「えっ!?……はあっ!?」

大きな声を上げた私に、ホーム上の人の視線が集中する。
私は小刻みに頭を下げて、口元を抑えた。

「なん、なんで、ですか…。自殺って、何が原因で…。いや、そのごめんなさい。これは聞かない方がいいですよね。すみません」

驚きすぎてデリカシーの欠片もないことを言ってしまった。
明らかな失言だったが、幸いにも奥さんは「気にしないで下さい」と、そう言って続けた。

「詳しい、その、死因については、まだ何とも。でも、いつも夫から、ひよこさんのことは聞かされていました。ですから、このことは少しでも早くお知らせした方が良いのではと思いまして…」

担当さんは、奥様に何と言っていたのだろう。
私のことをどんな風に、どんな顔をして話していたのだろうか。

「そうですか…。お気遣い、ありがとうございます」

「自分でもおかしいと思うんですが、夫ならきっと…。あの人なら、きっとひよこさんに連絡してほしいと、言うと思ったので…」

担当さんのことを思い出したのだろうか。
奥さんの声は少しだけ明るかった。それが余計に心に刺さった。
この時の私は、突如として現出した喪失感に振り回されるばかりだった。

「つい先日、顔を合わせていたのに…。その前だって、何度か打ち合わせで顔を合わせていながら、何も…気付けませんでした。何というか、すみません」


冷静になったつもりでいたのだろう。だから、見落とした。

「無理もない話です。毎日顔を合わせていた私でも、気付けませんでしたから。…本当に、情けない話ですけど、私も…気付いてあげられませんでしたから」

ハッとして顔を上げた。

「えっ、いや、その、えっと…。えっと………、それは…」

言葉が続かなかった。

その後、出勤時間のこともあって、回らない頭で必死に言葉を探して電話を切った。

「うちの夫が、大変なご迷惑をおかけしました。その上で、私が言えたことではないんですが…。その、どうか、あまりお気に病まないで下さい」

最後に奥さんにそう言われた。

今、この世で1番辛いのは、誰よりも辛く苦しいのは、他ならぬ奥さんだというのに。


そう言わせてしまったことが、私の意識に強烈な自己嫌悪の影を落とした。

どうにかパソコンの前に座れるようになったよ

ため息と共にアルコール…は全く含まれていない息を吐きだして、私は通話していた友人達、もとい長い付き合いの作家仲間達に礼を言った。

「いいっていいって。元気がない時は誰かと飲むに限るだろ。ほらほら、カンパーイ!」
「カンペー!」
「おめでとKP~!」

彼らの声に「うぇ~い」と気が抜けまくった声で応じながらも、甘いジュースと氷で満たされたタンブラーを傾ける。

おめでとう、と祝われているのは、「元気がないのに500文字も原稿を書けて超絶バチくそ世界で1番えらかった記念日」だからである。

ネーミングは我が友、Dさん。肯定要素を全部盛りしたタイトルは、正直助かる。

あれから3日間、私は何も考えずに寝た。それしかできなかった。

何もできなかった。

本当のところ、パソコンの前に座って作業をするのが怖くなってしまったからだ。
自宅にあるデスクトップPCで、これまで膨大な量の原稿を書いてきた。
その中にはもちろん、今回作ろうとしていた本の元データもあったわけで。

そして、オンラインでの打ち合わせも、例外を除いて全てパソコンでしていた。

このパソコンが、いつの間にか1番担当さんとの繋がりが濃い物、もとい濃かった物になってしまっていたのだ。

誰よりも私を信じ、背中を押し、そして、一緒になって喜んでくれた人。
連絡先を開けば、すぐにでも見えるところに名前が出てくる。

それが辛かった。

幸いにも、スケジュールには随分と余裕を持たせていたので、納品期限を守れないような事態にはならなかったが、いつまでも腑抜けているわけにもいかない。

全く気が進まないながらも、どうにかせねばと気の知れた友人達に連絡を取り、事情を話した。

彼ら、または彼女らは、ひとしきりこちらの話を聞くと、連日のように「今日は何しようか?」と、私が気が進まないでいるのを分かった上で誘いの連絡を飛ばしてきてくれた。

ここ数日の間、ただ通話をして、ゲームをして、YouTubeで好きな動画を見て、一緒に笑ってくれた。

そのおかげで、パソコンの前に座って何かをすることに対する忌避感は少しずつ薄れていった。

最初は原稿を書くツールを立ち上げることすら避けていたものの、最初は題名だけ、次は100文字だけ、その次は300文字だけ、というように慣らしていった結果、徐々に元の調子を取り戻しつつある。

持つべきものは友だ。先人の言葉とは、かくも偉大である。
今度、どこかで美味しい外食にでも連れて行かねばなるまい。

「あ、そうだ。ひよこくんさ、言い忘れてたことがあったんだけど」
「ん?どした?」

話していた友人の1人が思い出したように言った。

「もしもね、例えば私が今回のひよこくんみたいに落ち込んでたらどうする?」

「え、そりゃあ…」

一瞬言葉に詰まったが、考えるまでもなかった。

「今、みんながしてくれてるみたいに、一緒に話したり、酒飲んだり、いや、私の場合はジュースだけどさ。あとは、ゲームしたり…。そうやって、ちょっとでも元気になってもらおうとする、かな…?」

「でしょ?だからね、大丈夫!全然大丈夫だから!めっちゃ大丈夫なんだよ!」

「ん?えっと、何がどう、大丈夫???」

唐突な大丈夫の連呼を聞いて眉根を寄せた私に、彼女の夫である別の友人が説明してくれた。

「まあ、要はあれだ。どうせお前のことだからさ、飯でも奢らなきゃとか余計な事考えてるんだろうけどさ。うちのやつみたいに、エグい主語の抜け方でもしてない限りは、いらんこと考えなくていいんじゃね、ってこと。そういうことじゃなくて?」

「そう、そういうこと~!だから、大丈夫だからね!一緒だから大丈夫だよ~!全然大丈夫だからね~!」

へべれけ気味のテンションで繰り返される「大丈夫」という言葉。
一瞬で視界が歪んだ。滞留していた心の澱(おり)が溶け消えていく。

彼女が振りまく温かさにも、それをちゃんと届けてくれる彼にも。

「ナイス、旦那翻訳」
「流石の精度ですね~。序盤、中盤、終盤、隙がないよね。けど、オイラ負けないよ」

そんな風に軽口を叩いて一緒に笑ってくれる友人達にも。

「何に負けないんだよ。てか、張り合おうとしてんじゃねえっての」

泣き笑いでいるのをどうにか気付かれないように、私は重ねて礼を言った。

きっと涙声も隠せていなかったけれど。
張り合おうとしているのは、むしろ私の方だったけれど。

大丈夫、と彼らが言ってくれる限りは、また立ち上がろうと、そう思えた。


担当さんと私が作った幻の傑作 暗黒編へ続く🛫

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ひよこ師範
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