2023年に受けた思い出と教訓
※普段の記事とは異なり、重い内容を含みます。お読みいただく際は、その点をご理解の上、自己判断でご覧ください。
こんにちは、オリジンです。
毎日お仕事おつかれさまです。
仕事は新しいことを学び、自分が目指すキャリアに向けて取り組むことができる一方で、難しさを感じる場面も多くあります。プライベートとのバランスや人間関係の悩みなど、日々向き合う課題が積み重なっていく時期でもありますよね。
私自身、仕事が何でもできるわけではありません。
賢いわけでもなく、神経質な性格のため、悩みを抱え込みやすいところがあります。
そんな私ですが、2023年は特にストレスが大きく、精神的に追い詰められるほど疲弊していました。
そこで得た教訓や学びについて、この記事で振り返りたいと思います。
序章
もともと私は1社目を退職後、無職期間を過ごしていました。
早く次の仕事を見つけたいと焦りながら就職活動を進め、面接の結果、IT系のSES企業に採用されることになりました。
就職後は、案件先が決まるまで待機しつつスキルアップのための学習に励んでいました。
しかし、自分のスキルが不足していると感じる中、なかなか案件が決まらず不安な日々を過ごしていました。
そんな中、運よく案件が決まり、ようやくお客様先での業務がスタートしました。
初めての1人常駐という状況で、粗暴な扱いを受けるのではないかと不安もありました。
しかし、面談でお世話になった担当者やフォローしてくださる方々、そしてチームメンバーの上司たちは、思っていた以上に丁寧で親切な対応をしてくださいました。
この経験を通じて、「前職での辛い経験は甘えだったのかもしれない」と考え直し、「今後は甘えを理由に仕事を辞めるのはやめよう」と心に誓い、全力で頑張ることを決意しました。
ただ、チームには問題もありました。
上司と部下の間で人間関係がこじれ、チームが分裂状態に陥っていたのです。
そのような状況の中で、サブリーダーや部下が離れることになり、その穴を埋める形で私を含めたメンバーがアサインされた、という経緯があったようです。
中盤
セットアップが終わってから1か月後、前任者の業務を引き継ぐことになりました。
しかし、引き継ぎは不十分で、中途半端な状態で作業が渡されてしまったため、何をすればいいのか分からない状況が続きました。
その中で、関係者とのやりとりや仕事内容について自分で調べたり、試行錯誤を重ねながら対応していました。
システムや業務内容を把握できていない中、フォローもほとんどない状態で、「自分から動かなければ進まないんだ」と感じ、上司やチームメンバーに積極的に声をかけて進めるようにしていました。
しかし、前任者の業務に加えて新たに受け持つことになった作業や、打ち合わせへの参加が増え、帰宅が20時~21時を超える日々が当たり前になっていきました。
その頃から、「この案件先、何かおかしいのでは?」と内心不安を感じていましたが、「これも甘えだ」と思い込んで頑張り続けました。
さらに、年末年始の作業も22時を過ぎることがあり、予定していた忘年会を断ることもありました。
「とにかくがむしゃらにやるしかない」と思いつつも、上司やサブリーダーに質問をしても曖昧な回答しか返ってこなかったり、私自身が文章作成に不慣れで、メールやチャットの内容について指摘を受けることも増え、次第にストレスが溜まっていきました。
加えて、私生活でも悩みが重なりました。
Twitterではフォロワーの多くがネガティブな発言を繰り返す人たちで、それに触れるたびにイライラが募りました。
家庭内では、親との間でお金の貸し借りがあり、これもストレスの原因になりました。
さらに、自分の仕事がうまくいかない状況から「もしかして自分には何か障害があるのでは?」と思い詰め、検査を受けたこともありました。
診断結果を必要以上に気にしてしまい、余計に自信を失ってしまったのです。
終末
入場してからしばらく経つと、前任者から引き継いだ作業の進捗が思うように進まず、上司やサブリーダーから毎日のように叱責を受けるようになりました。
その度に自分の未熟さを痛感し、さらに追い詰められていきました。
また、過度なストレスの影響なのか、椎間板ヘルニアを発症してしまい、一生続く痛みを抱えることになりました。
毎日が疲弊の連続でした。
外の空は明るくても、心の中は真っ暗なまま。
この状況ではもう耐えられないと思い、作業の引き取りをお願いすることにしました。
しかし、それまで頑張ってきたことを放り出すかのような態度に、強く叱責されました。
その場で涙が止まらなくなり、「もうどうすればいいんだ」「自分なんか、頑張っても迷惑をかけるだけの存在なんだ」と、自分を責め続けました。
結果的に、大本の仕事については別の人に引き取ってもらい、一部の業務については引き続き自分が解決するという形に落ち着きました。
しかし、すでに心身共に限界を迎えていた私は、自社の営業担当や社長に相談し、退場と退職を決意しました。
「これ以上、この状態で続けるのは無理だ」と理解していただけたのだと思います。
この頃には、私の精神状態は完全におかしくなっていました。
自分の無力さをひたすら責める日々
以前は問題なくできていた仕事が、手につかなくなる
自信を完全に失い、笑顔を忘れてしまう
何をしても楽しいと感じられなくなり、大好きだったゲームさえ楽しめなくなった
部屋の中で物を殴り、蹴り飛ばし、投げつける行動を繰り返し
感情が爆発した時には、屋上から飛び降りたい衝動
さらに、人間関係や社会そのものへの怒りも膨らんでいきました。
家族、職場の人々、街を歩く人々、リア充、趣味を楽しんでいる人々——「人生を楽しんでいるすべての人」に対して怒りと憎しみを感じ、「ぶち殺してやる」といった殺意すら湧いていました。
退職を決意したとはいえ、実際に退場し会社を辞めるまでの間も、精神的な不安定さは続きました。
退職が完了するまでの日々も辛く、心の平穏はなかなか取り戻せませんでしたが、何とかその日を迎えることができました。
退職から再就職まで
退職後、しばらくは自宅で休養し、心身を整える時間を過ごしました。
その間、生活費を補うためにコンビニでアルバイトを始めました。
久々のアルバイトではありましたが、「自分にもまだ働ける力がある」と感じられたことで、少しずつ自信が湧いてきました。
アルバイトを続けながら、自分のこれからについて考える時間も増えました。
そして、ふと以前お世話になった職場を思い出し、「もう一度あの場所で頑張りたい」という気持ちが強くなりました。
その思いを胸に、再び採用面接を受けることを決意。
結果、面接に合格し、再びその職場で働けることになりました。
教訓的な何か
この経験を通じて、いくつか学んだことがあります。
1. 「すべてが悪夢ではない」と捉えること
過去の辛い出来事も、振り返れば自分がここまで頑張ってきた証です。
確かに辛い時間でしたが、そんな状況でもやり切った自分を褒めてあげたいと思います。
この経験があったからこそ、次に同じような壁に直面した時には、乗り越える力がついていると信じています。
また、面談時にお世話になった担当者から教わった数々のことも、今後の自分の指針となっています。
2. 「失敗や甘さを過度に背負い込まない」
自分のミスや努力不足を必要以上に重く受け止めないようにしました。
「今逃げたらダメだ」「もうどこもやっていけない」と思い込むのではなく、状況に応じて柔軟に自分を許し、前を向くことが大事だと気づきました。
3. 「我慢の限界を見誤らない」
限界を超えると、人間は心も体も壊れてしまいます。
「まだいける」という言葉で自分を奮い立たせるのは一見前向きに思えますが、それを繰り返しすぎると、自分が何者なのかも分からなくなってしまいます。
しんどい、辛いという感情を押し殺すのではなく、きちんと認めてあげることが大切です。
現状
現在は新しい案件先に常駐し、働いています。
同じタイミングでスタートしたチームメンバーも多く、協力し合いながら仕事を進めることができる環境に恵まれています。
このような働きやすい環境にいられることに感謝する一方で、「今後この状況が長く続くだろうか」という不安も少なからず抱えています。
過去に経験した辛い出来事や失敗は決して忘れることはありません。
しかし、それらを糧に変え、自分自身を成長させながら日々を歩んでいきたいと思います。
「乗り越えてきた自分」を信じ、前を向き続けられるよう、今後も精一杯取り組んでいくつもりです。