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外食よりおうちご飯の方がずっと優しくて贅沢だ

2023年春。久々に岡山の実家に帰省してゆっくり過ごしている。
家の回りは一面田んぼや畑ばかりだから、スズメがチュンチュン鳴いている音で朝は目覚める。

窓を開け朝の澄んだ空気を吸い込むと、田舎特有の田んぼの匂い、土が朝露で濡れているけれど爽やかな香りを感じる。

心が洗われる感覚になる。

夏の朝、外を出るとこんな風景が広がっている


私が一人暮らししている場所は、日本海側の街の市内の駅前近くで、朝から車やトラックが行き交い、「ゴゴゴゴゴゴゴ」「ブゥーン!」その振動やアクセルの音で目を覚ますことが大半だ。

町自体は都会ではなく、駅前から少し離れると美しい海や山などの自然が広がっているか、生憎自分が暮らしているところは、駅前の繁華街に近い場所で、会社に通う分には恵まれた場所ではあるが、自然のある場所までは自転車でも10分くらいはかかる。

一人暮らしの当初はそれが何気なくストレスで、そんな音で目覚めた朝は最悪だった。

些細な違いだけれどスズメ達の声を聞いて、優しい田舎に涙が頬を伝った。

友人や家族に会えない寂しさか。
ホームシックというものか。
最近ほんのちょっとしたことで泣いてしまう。

日曜日、社長だった祖父の自営業を継いだ父親はカレンダー通りのお休みだが、月に一度ほど楽しみにしていることがあるという。

それは骨付きの鶏肉を買ってきて、ペール缶をリメイクしたお手製の燻製器で燻製を作ることだ。

父の仕事柄、実家にはドラム缶やペール缶や運搬用の木製パレットが庭に沢山ある。
木製パレットなんて、いくらでも溜まってしまうから、焼き芋、燻製、揚げ物、それらを作るときはいつもその木製パレットを燃料にする。

お金を殆どかけない、キャンプみたいなものだ。
田舎の庭が家の3倍くらいある場所で、近所に家がなくて、前後が田んぼだからこんな野焼きみたいなことができる。

毎週日曜日の休日にはそんな風に私たち家族が喜ぶように、それから母親の料理の負担を減らすためか、はたまたそんなことはあまり考えずに父親がそれを食べたいだけで作っているのかもしれない。

けれども、これってとても幸せなことではないか?と思う。

一人暮らしを始めたら毎日の自炊は思ったよりも大変だった。
だから休みの日に作り置きをしたり、スーパーの半額になったお弁当で済ませたりしていた。
お弁当やお惣菜であっても、野菜とタンパク質をバランスよく食べられるように気を使っていたが、仕事で疲れて気力が無い時に半額のお弁当を続けて食べた日なんかは、塩分が多いせいか、手足がむくみやすいと感じていたし、体がだるく感じる時もあった。

決まって自分であまり塩を使わずに薄味で作ったご飯を食べたら調子が良いのだ。
ありがたいことに母親が母親が専業主婦だからこそ、小さい時から毎日美味しい手作りのご飯を食べさせてもらえた。
父親も自営業で転勤もなく、時間の融通が利くからこそ、料理をする心の余裕があるのかもしれない。
それと、両親揃って外食の濃い味付けが苦手だったこともうちの家族が外食をほとんどしない要因の一つである。

ふと以前会社の後輩に言われたことを思い出した。
私は生まれてこの方25年間、「牛角」に行ったことがなかった。
けれど会社の飲み会で初めて牛角に行ったのだ。
だからどういう風に注文するのか、そのシステムさえよく分かっていなかった。

そのことに対して、「えっ、牛角も行ったことがないんですか、普通いったことありません?」と心無い言葉をかけられた。

今になって思うのは、「どうだろう、それってあなたの普通ですよね?」ってひろゆきみたいに返せば良かったのに、私は仕事で疲れていたせいか、「うん、そうだね」としか言えなかった。

いや、言わなくて良かった。角が立つことは言わない方がいい。
口は災いの元だ。そうです、行ったことないんだから仕方ないでしょう?

大手有名チェーン店にあまり行ったことがないのは、実家が岡山市内からずいぶん離れた場所で、近くの飲食店に行くにも車で10分はかかるような場所だから。

大学は岡山市内だったが、女子大だったこともあり、友達とは個人店のオシャレなカフェやご飯屋さんばかりで、鳥貴族も王将もサイゼリヤもジョリーパスタも牛角も行ったことなかった。

サークルでなくて部活に所属していたから、飲み会で行ったこともなかった。

だけど私はあまり外食先を知らないことに対して「可哀想」とか「え、そんなところも行ったことがない貧乏なの?」とかって言ってくる人より、「お家のご飯がいいよね」とか「恵まれているね」とかって言ってくれる人と仲良くなりたい。

ましてや外食をあまりしたことがなくてお店を知らないことに対して、馬鹿にしたようなことを言ってくる人などお断りだ。

もちろん、外食だって家でご飯を食べるよりも片付けをしなくて楽とか、だからこそ会話に集中できるし、世の中ではこんな食べ物があるんだって知れることだってあるから一概に悪いわけではない。

一長一短だけれども、要はバランスが大事なわけで。
それもいいよねって、言えることは人間の器の大きさが問われると思う。

・・・・それから2024年の秋になった。

元彼と神戸での同棲を解消して、岡山の実家に帰ってきた。
たった4カ月程度の同棲だったが、学んだことは多すぎる。
まずは第一に、相手のしてくれたことに感謝ができない人はお断りだ。

元彼は、兵庫の離島育ちでなかなかの田舎の人ではあったが、実家のお母さんがほとんど自炊しないお家だったらしく、夕ご飯はほとんど外食か惣菜で育ったようだった。
彼のお母さんは確かにフルタイムで働いていたから仕方ないことだったのかもしれない。
味覚が根本的に違ったせいなのか、元カレは私の作ったご飯に対して、
「これ不味い」
「ちゃんとメニューを見て、それ通りに作った方がいいよ」
「クリームにパスタにナスを入れるセンスが理解不能」
など散々なことを言われた記憶が蘇る。同棲前はそんなこと言われたことなかったのに、3年も付き合っていたのにそれが見抜けなかった私は馬鹿だった。
私は毎日夕ご飯を1時間くらいかけて作っていたのに。
その苦労を知らずに彼は夕ご飯を作ることも、手伝うこともほとんどなく、挙句の果てに「なんで帰ってきてすぐご飯が食べられるようになってないの?今日一日家にいたよね?」と言われる始末だった。
私は毎回ごめんね、次はちゃんとメニュー見て作るねって言ったり、かぼちゃが嫌いって知らなくてごめんとか、20時までにご飯の準備ができてなくてごめんねとか、ごめんねごめんねばかり言っていた。

一度、元彼が休みの日にご飯を作ってもらったが、2時間かけて2品目、メニュー通りに作ったおかずの味付けはすごく濃くて食べにくかった。
それでも作ってくれたから「おいしいよ、上手だね」って言った。
だが、更に「普段作らないだけで作ったら上手いから」と調子に乗らせてしまった。
昨日、明日作るって言っていたのに、やっぱり作るのだるいから外食しよう!って言われたり、惣菜を買ってきて、はい夕ご飯って出されて・・・それなら最初からご飯作れないかもって言ってくれれば、簡単なものでも作っていたのにと思っていた。

そんなこんながあって同棲解消したわけで。

また同棲開始~解消に至るまでの経緯を別の記事にまとめようと思う。
早く記事にして、このモヤモヤした気持ちを成仏させたい。

2024.10.17 加筆修正
PS. 実家を離れる前は当たり前だと思っていた出来事や風景も、一度そこを離れてみると全く違って見えるし、何ならその光景が愛おしく、尊く感じるものなんだと思った。
今はコオロギが、満月の空の下で鳴いている。
私の故郷はいつも優しくて美しい。

ナスだってピーマンだって、玉ねぎだって新鮮で、思い存分食べられる贅沢。田舎は情報量が少ないし、同年代も少ないから寂しさを感じることも多いけれどそれは恵まれていると思う。

田舎生まれの人間でおうちごはん好きだけど、ファッション、インテリア、音楽、アート大好きで代官山も森ビルもGINZA SIXも国立新美術館も大好きなんだよな。文化好きの田舎人間。矛盾してる。
WWDジャパンのポッドキャストを聞きながら、都会の空気を想像する。
将来一度は東京で暮らしてみようか。

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