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感性はロープウェイから見える風景のよう
私には決断力がない。
そうハッキリと自覚したのは最近だ。
元々優柔不断な所はあった。
高校の吹奏楽部で皆の投票で何故か部長になってしまった時にはそんな自分が恥ずかしかった。
こんな優柔不断な私に務まるのか。
それでも責任感だけは強かった。
優柔不断な本当の自分の気持ちにお面を塗りたくって、まるで決断力があるかの如く必死に背伸びをしていた。
そうしていれば優柔不断で「ダメな自分」を少しだけ隠すことが出来ていたように思う。
物分かりが良いように見せて、人の意見をひたすら聞いた。取り入れた。
当時気づく人は私の中身の薄っぺらさに気づいていたと思う。
その頃に背伸びをしたことで表面的なことやそんなに重要でないことに関しての決断力は磨かれたけれど、本質的には変わっていないことも多い。
なんせ諦めが悪い。そして頑固。
良くいえば粘り強いとも言えるが。
テレビ、ネットニュース、インスタで見る友達たちの近況。
友達とご飯に行ったり、遊んだり、何かを作ったり。
結婚、出産、人生の大切な事を一つ一つ決断しながら皆は進んでる。
皆すごい。
私なんてちょっとしたことで傷ついて動けなくなる。
決断力が、行動力が心の底から欲しい。
毎日毎日私には目に入ってくる情報が多くて、やりたいことがあるのにできなくなる。
そんな自分が嫌になる。
けれど一方でこんなことを思う自分がいる。
「そんなに厳しくしないでも苛めないでいいじゃん~、ただでさえ世の中は批判に溢れているのに、守れるのは自分だけなのにねぇ(笑)」
感性は物凄いスピードで、刻一刻と一瞬にして変化しつづける。
もちろん変わらないこともあるけれど、目に見えること殆どは変化していく。すべては諸行無常だから。
こうやって書いている私の文章も、今感じている気持ちも残された時間も、若さも今の感性も。
ぼーっとしてると取りこぼしてしまう。
人間には寿命がある。
自分の寿命なんて分からないけど、いつ近いうちにそんなことになっても後悔しないように。
生きている証を残したい。
いまの私という輪郭を少しでも型取りたい。
こんなことを考える人間がいたという事実を残したい。
だからそのためには完璧でなくてもとにかく形にしていかなきゃね。
ネガティブになって動けない、そんな時間は勿体無い。
人生はまるでロープウェイみたい。
そうやって大好きなお兄さんたち、ceroが歌っていた。
見える風景が刻一刻と変化するロープウェイの車窓。
文章は写真のようにも思う。作りたいものは思考の結晶。
ある人に言わせると面白みのない人間かもしれない。
思う人は勝手に思っていればいい。
思わせていればいい。
ceroのロープウェイの歌詞にある「やがて人生は次のコーナーに」。
まだ私の人生はそのコーナーに差し掛かってはいない。
まだまだ刻一刻と変化する風景は新鮮だ。
あの天空に輝く綺羅星のように、今この時に感覚を研ぎ澄まして。
今日はなんだか取り留めのない文章を書いてしまった。
まあこんな日もあるよね。
冒頭のロープウェイをまた見られる日まで。