忘れられた町は、思い出の町
ワタシの祖母は石川県の珠洲市に住んでいます。
家の裏には海があって、そこで漁船を眺めながら汽笛の音を聞いて祖父と一緒にタバコを吸うのが日課でした。
けれども愛煙家仲間だった祖父は数年前に、コロナの影響により突然この世を去ってしまったのです。
そしてその数年後、未曾有の大地震がやってきて、今度は思い出の家も町も全て失ってしまいました。
震災直後には、祖母は何度も何度も電話越しで「生きていても、何も意味がない」そう言って嗚咽をしながら泣いていました。
大切な人を失った悲しみからようやく立ち直ろうとしていた矢先に、今度は大切な人と過ごした思い出の場所まで奪い去られてしまったのです。
それからワタシは、何度も思い出の場所を訪れて、祖母の様子を見にいくために車で何時間もかけて会いに行っています。
田舎ではあったけれど、町には活気があって人の声もたくさんしていました。
けれども今では、この町には人が1人もいないように思えてしまうほど、静まり返っているのです。
震災からすでに半年以上も経過していますが、現状は何一つ変わってはいません。そして、地震の影響で数少ない若者たちは町を離れ、県外に出て行きましたました。そして気がつけば、思い出の場所は国からも見放された「忘れられた町」という言葉さえ言われるようになってしまったのです。
それでも今でも多くの人が被災地には住んでいて、必死に今を、そして未来を生きようとしています。あらゆるところにステッカーや旗が掲げられており、そこには「負けるな!能登」と大きく書かれていました。
何一つ変わらない現状の中で、未来や希望を失いそうになっていても、被災地にいる人たちの心は前を向いて歩こうとしているのです。
大きな震災に見舞われて、家族を失った人がいます。
家を失った人がいます。
仕事を失った人がいます。
あらゆるものを失い、絶望の淵に立たされてもなお前を向き、歩き続けているのです。
そしてワタシ自身も、大切な家を、思い出の家を失ってしまった1人でもあります。
今のワタシにできることは、遠く離れた場所からでもあの悲惨な状況を伝え続けることなのかもしれません。悲しみに暮れるばかりではなく、同じように今を、そして未来を生きるために、かつての思い出の場所を新たな形で残していけるように。
ワタシは文章を通して、被災地にいる人たちの言葉を聞きながら伝え続けることが、ワタシのできる唯一の恩返しなのかもしれないのだから・・・。