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故郷でもない場所で『ふるさと』を歌った日

これはワタシが小学6年生の頃のお話です。
学校での思い出なんてこれっぽっちもないワタシですら覚えている、とても恥ずかしくて謎が多すぎるエピソードだなと今でも思っています。

もしかすると、ワタシと同じ体験をしている人がいたとしたら、きっと仲良くなれるだろうなと思うほど、あの日の出来事は記憶に残り続けています。

ワタシの小学校は緑化活動と音楽に力を入れている所でした。
昔からやっていた風習なのか、米のとぎ汁を各家庭で持ってきて川に流す活動をしたり、定期的に川の掃除を学年ごとにしたりもしました。

そしてもう一つの音楽の部分では、ある時から新しく来た熱血マシマシの音楽教師によって、「この学校は音楽で世界を目指すんだ!!!」そう言わんばかりの熱量で、授業や学年での活動にも気合を入れていました。
今まではなかった音楽だけのお祭りや、音楽を通した行事なんかも次第に開催されるようになったのです。

そして学年の音楽活動での指導は、「スパルタ」以外の言葉が見つからなくらい厳しい指導のもとで行われていたのです。

「いいですか、みなさん。歌は喉で歌うんじゃない!ここ!ハートと魂で歌うんです。さぁ、喉を大きく開いて、あの山にみなさんの声を轟かせましょう。その声が素晴らしければ、きっとやまびことなって返ってきます。全ての力をこの歌に集中させるのです!」

「あ〜🎵」

「違う違う!何をやってるんだ!違うんだよ!もっとこの頭のつむじから声を出して、あの山を動かす勢いで歌うんだよ!轟かせて!声を、魂を!そして情熱を!!!!」

そんな感じの熱血指導は、感覚的にはほぼ毎日のように行われていたような気がするくらい、もう学校に行く理由が勉強のためではなく、歌声のやまびこ轟かせるためだけに通っている気がしてなりませんでした。
そしてこの時に毎日のように練習していた歌こそ、『ふるさと』だったのです。

ワタシの記憶では、どこでどのような形で歌うかなんて教えられていなかったような気がします。
もしくは伝えられてはいたけれど、あまりにも熱血すぎて忘れていたのか、それは今となっては思い出すことはできないのですが、それでも毎日のように立ち方、声の出し方、歌い方の基礎とそして情熱の限りを尽くした練習が続いていました。

忘れもしない秋の一大イベントである「修学旅行」で、この歌の意味を知ることとなります。

新幹線に乗って奈良と京都を巡る予定だった修学旅行は、誰もが楽しみにしていた6年生の最大イベントでもあります。けれども友だちがいなかったワタシは、正直あまり乗り気にはならずに、準備をしている過程が1番の楽しみとなっていました。

当日は、修学旅行のしおりを手に持ちながら、先生の引率のもとあらゆる場所に行ったような気がします。
京都の美味しい湯葉を食べて、「この世の中に、こんな美味しいものがあるんだ」と感激した覚えもあります。

同級生たちも思い思いにこの旅行を楽しみ、景色や歴史的建物に魅了されていたと思います。

さて、京都の旅行では必ずと言ってもいいほど定番の場所があります。

そう、それが「清水寺」です。

この清水寺には三つの水が流れていて、願い事が叶うという話を聞いたことがありました。ワタシはもちろん、三つのうちの「美人になれる水」と言われていた場所を選んで、かなりの願いの圧をかけながら(頼みます。大人になってからでもいいから、頼むから美人にしてください)とお願いをしてお水を飲みました。

そこからまた移動をして清水の舞台と呼ばれる場所へと向かったのです。

すると「みなさん。今日は素晴らしい日です。こんなにも素晴らしい時間を与えてくれた場所に、そしてここにいる方々にお礼をしましょう」と熱血教師が言い出したのです。
(あぁ、ありがとうございますって言うのかな)と思っていたワタシの予想はこの瞬間大幅に外れることとなります。

「さぁ、いつも歌っている順番と場所は覚えていますね!今日のために練習した成果を見せるためにも、ここにいる方々にお礼の気持ちを込めて『ふるさと』を歌いましょう!!」
そう意気揚々と言われた瞬間、生徒たちはザワザワし始めて、周りの観光客の人も、お寺の人も、「なんだなんだ」と言わんばかりの表情で集まってきました。
オーディエンスに囲まれながら、仕方なく定位置について、熱血教師が自前の指揮棒を頭上高く振り上げた瞬間、今までの癖で全員が綺麗に足を肩幅に開き、最初で最後の故郷ではない場所で『ふるさと』を熱唱する体験をしたのです。

終わった後、パチ・・・パチパチと握手が上がり始め、オーディエンスに向かいながら教師は深々と頭を下げて、「この素晴らしい日に、このような機会をくださりありがとうございました」ともはや涙声で達成感をあらゆる角度から感じているようでした。

そして満足したのか、今度は私たちの方へ向いて「それではありがとうございますを言いましょう」と指揮棒をまた頭上高く振り上げて、その合図で「ありがとうございました」と挨拶をして、この謎の時間は終わりを迎えました。

この体験はワタシの中では、未だに消化不良のまま残っています。
なぜ選曲が『ふるさと』だったのか、なぜあの場所で歌う必要があったのか、そしてカオスな状況になぜ彼は感動していたのか、その全てが未解決事件さながら謎のままで終わっているのです。

もしもワタシに学生時代の友だちがいたら、絶対にこの話をしていたことでしょう。

「なんであの時、あの歌を選んだと思う?」そう一度でいいから聞いてみたかったし、あの状況を他の人たちがどのように感じていたのかも知りたかったです。

もう、あの時のことを鮮明に覚えている人はいないのかもしれません。
そして語り合える友だちも、いないのです。

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