わかるわかるよキミの気持ち
15年くらい前、あるヴィンテージの人形が欲しくて探していた時期がありました。
ネットで探し物をするときの私は自分でも呆れるくらい執念深くて、あらゆる検索ワードを打ち込み、出た検索結果は全部チェックしなければ気が済みませんでした。
当時、珍しい探し物をする場はヤフオクやイーベイでした。「ヴィンテージ ドール」の検索結果60000件だったり、「犬 人形」の検索結果50000件などを何時間も、下手すると一晩かけて全部見るのです。
今でこそそんな時間も気力もないのでやりませんが、当時は時間も執念もたっぷりでした。辛抱強い性格なのか、一種の強迫観念のようなものだったのか、たぶん両方でしょう。あるとき自分のその習性は「根こそぎ」という四文字で表せると気づいて、まさしくピッタリで恥ずかしくなりました。
根こそぎ。一度潰し始めたプチプチはひとつ残らずつぶさないと気持ち悪いそんな感じです。この例えは結構うまいです。探し物をするのも恥ずかしくなるのもたいてい夜中です。だから、一晩寝るとすっかり忘れますが、また夜が来て探し物を始めるとその四文字がよぎる、そんなことがしばらく続きました。
深い執念のおかげで、探していたヴィンテージの人形はそのレアさに反し3体も手に入りました。間違ったスペルで出品されたものを探し出し破格で手に入れた、と文字にしてみると、そこまでした自分にすこしだけ引きます。いややっぱ誇らしいです。
子供の頃、ぬいぐるみをたくさん持っていました。30個以上あり、自室のピアノの上に並べていました。ぬいぐるみはもらった人が名前を付けることになっていたので、全部に名前がついており、半分は私が名付けたもの、半分は弟が名付けたものでした。
毎晩ベッドに入ると、目をつぶる前にぬいぐるみ全員に「おやすみ」のあいさつをするというルールを自分で決めていました。眠りに入る前の儀式のようなものです。
電気を消した部屋で、布団をあごの下までかぶって、ピアノの上のぬいぐるみひとりひとりの目を順に見つめながら、心の中で唱えます。
(じん太、おやすみ。まこ、おやすみ。わんわん、おやすみ……)
全員分終わらなきゃ、目をつぶることは許されません。一人とばしたかな?と思ったらもう一度初めから。仲間はずれを出しちゃダメです。
私は「根こそぎ」の習性を昔から持ち合わせているみたいです。今は大分薄れてきた気もしますがそれでも「網羅しないと気持ち悪い」「隙間はピッチリ埋めたい」といつも思います。京極夏彦『魍魎の匣』にそのような人が出てきてシンパシーを感じました。あの人の気持ちをわたしはよく理解できます。
5歳の息子が最近「あつ森」を始めました。キャラを作り、初めてあつ森の世界に降り立った息子は、地面に生えている雑草を抜けることに気づき、島中の雑草を根こそぎ抜いて回ったのです。島から姿を消した雑草、ポッケの中には504コの雑草。おやおやキミもか。