マグカップとドリッパーの隙間から
マグカップの上にドリッパーを置きます。ドリッパーという名前は今、知りました。マグカップの上に、まで書いたところで、キーボードを打つ手が止まったんです。あれは何という名前だろう。すぐさまグーグルを立ち上げ<コーヒーメーカー 手動>で検索しました。出てくるものです。目当ての画像を見つけ、クリックします。アマゾンの販売ページでしたので、商品詳細のところまでスクロールしました。「セット内容:コーヒーサーバー、ドリッパー、ペーパーフィルター2枚」 ドリッパー!なるほどドリッパー。
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「気付いたらダンディになってたんだけどね、昔はトレンディだったの。背が高くて格好良い、ほら。あなたの先輩のほら、あの人、門司港の写真家さんみたいな雰囲気で、ほら俳優さんよ。トミ、トヨ、ほら。」
「ほら」しか出ては来ないわ、頭の中のイメージを目の前の夫と共有できないわで、もどかしいです。「トヨ…原功補さん?」ああ、そうかも。
十年以上たってから、豊原ではなくて豊川だと、悦司さんの方だったと判明しましたが本当は今も顔の見分けはつきません。ふたりだったとは。これまで同一人物だと思って生きてきて、不都合はありませんでした。ネットがあればすぐに答えが分かるけど、そのおかげで賢くなれるのか、馬鹿へと向かっているのか、どちらなのでしょう。
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マグカップとドリッパーはセットものではないので、出来るだけ中心を合わせて慎重に置きます。これから一人分のコーヒーを淹れます。ペーパーに豆を入れ、お湯を注いで少しするとコーヒーが抽出され始めました。ぴちゃり、ぴちゃりと聞こえます。文字だと美しく見えず非常にいまいちです。実際の音はどちらかというと好きです。
コーヒー抽出中のマグカップを、ドリッパーを乗せたまま、テーブルの崖っぷちまでずらしました。コーヒーの2割ほどの牛乳を入れようと思います。ドリッパーをほんの数センチ、そうっと持ち上げ、僅かにできたマグカップとドリッパーの隙間から牛乳を注ぎ入れました。靴ひもほどの細さでです。白い靴ひもは音を立てずにコーヒーの中へ滑り込みました。ドリッパーを戻します。陶器と陶器が小さくぶつかる音は、好き嫌いが分かれそうですが私はどちらかというと好きです。コーヒーはまだ抽出中です。肘が当たって床に落とさないよう、マグカップは再びテーブルの中ほどへずらしました。
わかります?テーブルの真ん中でこれはできません。できますが、牛乳パックをたくさん傾けなければいけなくなるので、牛乳は遠慮なく出てしまいます。出す量の調節ができないのです、牛乳パックに中身がたくさん入っていればいるほどです。あと、周りに跳ねますね。テーブルの端っこギリギリのところにマグカップがあれば、牛乳を注ぐとき、牛乳パックの下に空間が生まれます。おかげで牛乳パックをどのくらい傾けるかを自分が決められるのです。私は二度目でそれに気づきました。一度目は周りを拭く羽目になりました。別に、これをどなたかにお勧めしているわけではありません。私も、書いていておかしなことをするなと思ったくらいです。コーヒー抽出後のドリッパーを横に置いて、適当な高さから牛乳を注げばいいだけですから。