noteを書いてみようと思ってから3年たちました。 自分の予想通り、全然投稿していない。 三日坊主め。むしろ三日坊主でもないぞこれ。 坊主になるための剃髪すら全部剃りきってないくらいだぞ。 言い訳させてもらうと、書こうとはしてたんです。 下書きもあるんです、4つくらい。すくな。 でもなんか、色々なことを考えてるうちに、思考を世界に開示することが怖くなっていました。 もうどんな出来事か忘れてしまったけど、ある人がある役職に任命されたけど、過去の発言が問題視されて、結局その役
あけましておめでとうございます。 今年度が終われば東京で暮らすのも7年目、 ということは既に人生の約4分の1は東京で暮らしている。 (ちなみに私は誕生日の前日か前々日に上京したため、24歳になるとようやく6年経過、なのだが。) 毎年実家に帰る度、親族の口から発される音にほのかに立ちこめる男尊女卑、家父長制、地縁主義等の臭いを感じては「あと5年は東京に住もう」と思う反面、東京での時間に反比例するように、私の中の「地元」の分子が減ることに寂しさをを覚える自分もいる。 「地元
タイトルの文章は、高校1年生の時の漢字練習帳に載っていた言葉だ。私の人生はこの言葉に、そしてこの言葉から派生した出来事とそこで生まれた言葉に固執するかたちでできている。 出来事について結論だけいうと1人の友達と絶交状態になった。まあツイッターは相互フォローだし(相手のツイートも見られるのでブロックはされてない、はず)今どき珍しく電話番号も交換していたので完全に絶交とは言いきれないのだが、出来事以降交友はない。私は友達が少なくしかもその人は、もし関係が続いていたら、今でも
最初の一文を悩み初めて数十秒が経った。 私は人の言ったことはともかく自分の言ったことを覚えていられない人だ。1日前の自分の発言を覚えてない。基本的に直感で生きているので、思ったことをその時に言うことが多いし、そのことを覚えていないのだ。そんな自分に嫌気がさしていた。だから、こうやって言語化しておいて、過去に自分が何を思っていたか記録に残そうと思う。過去の自分のツイートを眺めて吐きそうになって削除することもあったから、もしかしたらいつの間にか記事を消すかもしれない。出来れば